当尾の辻 不動明王摩崖仏と地蔵 覆堂

いいお天気でまさに「夏」を感じる一日でした。

まだ蝉は鳴いていませんがね・・・。

おかげさまで効率よく、張り切って外仕事が進みました。

毎度「愚者のイタチごっこ」。壊した土蔵から出した品物を会館のスペースに「突っ込んで」いたものを、今度は会館から出して各所に「再突っ込み」。殆ど無理矢理にです。

 

大分処分することになりましたが、分散して押し込んだそれぞれを時間を見て補修し再利用できる品物に仕上げていくことになります。

ただし懸案だったオルガンについては廃棄やむを得ず。

母親が弾いていた姿を思い出しますが、踏ん切りをつけてお役御免。

 

1/10ほどに絞り込んだ古文書類ですがまだまだ膨大な量です。

廃棄せざるを得なかったのは状態が悪すぎたからですが、その残りを保管に廻したとしても管理が悪ければいずれは廃棄ということになります。息子もまずは「残されても・・・」でしょうね。保存には防虫、除湿対策と適宜虫干し作業が必要です。

何しろデータとして画像管理する必要のあるものもあって今後「どこまでできるか」課題でもあります。

 

残した書物をムキになって眺めていれば前回の如く肺炎になりそうな気がして・・・

夏の炎天下に虫干しを兼ねて軽トラ荷台で広げるというのが得策。マスクは必携です。

また境内に居てマスクをするべきと考えるのは参拝者に違和感を与えないため。

 

どちらに行ってもノーマスクの人についつい目が行ってしまいますのでそれは皆さんも同じことでしょう。

しかし墓参でノーマスクの方は結構多し。

まぁさすがに墓地でスプレッダーはありませんからね。

まぁ他者のそれは結構とも思います。

 

またマスクを着けていて鼻が出ているのはやはり見苦しい。

それに気付いてスグに直すのはいいのですが、ついつい話にムキになっての「鼻だし」態様はテレビ内でよく拝見します。

まずそれは大抵が政治屋どもの御説展開の時。

マスクを着けている時は淡々とお話いただければ・・・

見た目は大事ですよ。そういう社会になったということ。

床屋にも行けず、長髪ボサボサと化した私が言うのでは説得力ありませんが。

 

五輪開催強行一本鎗のガースーですが、海外メディア等からもいよいよその疑問、「オカシイだろ・・・」の声が上がりだしました。傍観者の立場としても面白いこと。

「やりたい vs やるな」のガキ問答の如し。

しかしガースーは自分の(ソーリという)地位と名誉を五輪に掛けていますからそれはやめられないのでしょうね。

それにしても地位と名誉のために下々の生命を代償とするとは・・・想像の上を行くみっともないソーリ殿です。

 

また「オカシイ」と思うのは「五輪・パラの大会運営にあたるディレクターなどの日当35万円」という昨日の記事。

40日間で1000万円の御給金といいます。庶民感覚からすればオカシイを超えて「信じられない」というズレズレの断層レベル。

「業務委託契約書」というものに確り記されたものでウソでもヘッタくりでもない正真のお話だそうですがやはり「五輪やりたい」という方もたくさんいるワケでした。

 

それを聞いて是非に「中止にしろ」と口汚く罵りたくなりました。私どもの税金が財源では?

 

インド+ロンドンの変異ウィルスが出たとも言いますが「空気感染甚だしい」ともいいます。

五輪まで1か月と少々の猶予ですが感染を止められるワケがないと思うところ。どちらもその責任に関しては取ってくれないといいます。人の生命がかかっているというのに。

 

さて本日も当尾。

コロナ禍の暇な御仁に、拙寺の嵌め込み地図に悪戯されていることを記しましたがますます意気盛んの様。愉快犯ということでしょうがサイトの運営につきものといえばそう。呆れ果てるばかりですがね。まあ、適当にやらせてもらいます。

 

当尾の地には以前記した「弥勒の辻」とは別に当尾の中心部付近にも「辻」と称される場所があります。

当尾てせは「辻」と言えばこの付近ということになります。

私は徒歩で千日墓地まで行き、そのまま新川の墓石たちを左手に見て「辻」方向に。

 

住宅が見えてきた辺り、辻への登り道の途中のコーナーに覆堂があって不動明王の摩崖仏と地蔵石仏が中に見えます(場所はこちら)。地図は悪戯が酷いので「20210531」と数字の羅列にしましたが、どうなることやら。

本当に気の毒な方で同情させられます。もっと建設的なことにご自身の時間を費やすことをお勧めしますよ。ご自身のためにも。

 

その覆堂は堂というよりも風雨が直接石仏に当たらないまさに覆い程度のものですがサイドの壁は塔婆風のデザイン。凝っています。

両石仏とも当尾ではごくオーソドックスなものですね。

その道を登りきったところに辻区公民館がありますが岩船寺に続く県道ともぶつかります。

 

①の奥の道左方面が千日墓地。⑥は公民館手前辺りから堂を振り返ったところ。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    野村庄右衞門幸正 (月曜日, 31 5月 2021 16:15)

    土蔵の古文書の中に野村家に関する何かしらの情報が出てこないかな?と期待してます(^^)

  • #2

    今井一光 (月曜日, 31 5月 2021 21:26)

    ありがとうございます。
    程度の悪いものばかりで殆ど処分しましたが、ぱっと見江戸後期のものばかり。
    特に歴代住職のお勉強用の書籍が主ですが・・・何しろ読み切れません。