「私を墓場に連れてって」 茂時の東勝寺から遊行寺

先日は100歳オーバーのお婆さんが「枯れたように・・・」亡くなるなど敬うべき件を記しました。また、先ほどまで会話をしていてしばらくしてふと気づけば「知らぬうちに」(眠るように)息を引き取った・・・などの往生の機縁を聞いて、私も「そうありたいものだ」と感じたものです。

 

ただし思うに、高校の時、目いっぱいの全力で400m競争を走り切った時のあの気絶寸前の如くの強烈な脱力感と、それに近いと思った先日の梯子から墓石に落ちた時の一瞬間気が遠くなってから酷い倦怠による睡魔に見舞われた件、それら年配者たちが息を引き取る時の様子、感覚とあまり変わりがないのでは・・・と思ったのでした。

 

各事故との遭遇によって死ぬか軽微の怪我程度で許してもらえるか紙一重というかただの偶然ということは承知しています。

痛みよりも強い衝撃によって一瞬間襲ってくるその睡魔のようなもの(混濁、昏睡)はもしかすると三途の川の入り口といった状況であってその暗がりの中、たまたま覚醒して「白い道」を此岸に向かって不思議な力で戻ることができたというのが「まだ生きてるよ~」の仕合せなのでしょうね。

 

打ちどころが悪ければ重大な損傷を受けて、覚醒すらしない場合もありますし、たとえ目が覚めたとしても損傷の度合いが悪ければ体力が追い付かず、そのまま「彼岸へGO」、というワケです。

眠りに落ちて朝に起きるなど、毎日何気なく繰り返していますが、その毎日のことがひょっとして目が覚めることそのものが「有難い」(難しい・・・)奇跡に近い体のシステムだったりして・・・などと。

今回のドタバタにつき、きっと生と死の間も「たまたま」の機縁であって、このいただいた命のありかたなどもそんなふわふわした不安定な感じなのだろう・・・とふと思ったのでした。

まったく不安定だらけの中をただの偶然だけで生かされている私を。

 

齢を重ねてから家に閉じこもらない外系の趣味を持つことは肝要であるといったことは私の持論ですが奥方にメジャーリーグの「Take Me Out to the Ball Game」風に「私を墓場に連れてって」(阿弥陀さんに来迎、お迎えを「Take Me Out to the Go~極楽浄土」のことではありません)などというのは一人よりも二人で健康を維持したいという当家の願望キャンペーンのようなものです。

 

ところが最近、奥方は特にその件「真っ平ごめん」とへそを曲げるようになりました。

一言で「首塚なんて つまらん」ということですね。

あっちに首塚にこっちに胴塚、はたまた腹斬り塚・・・墓ばかりと。どちらも皆同じではないのですがね。

またそれをストレートに白状すればそっぽを向かれてしまいますので抱き合わせを狙って趣向の違う食い物屋の類を餌に連れ出すことが慣例になっていました。

 

ところが最近はそれも見透かされて、「独りで行ってこい」になっています。

今やカメラを片手にしただけで警戒されるようになりました。

奥方は墓より食い気なのですね。

そういう意味からすれば東京の友人「女墓場」の存在は奇特なことですね。

 

各所私一人で回ることの効率の良さほどいいことはありませんのでそれも悪くないのですが、これから齢を重ねるにあたりできる限り共に健康を目指していくことほど有意義はありません。

 

その気の利いた食べ物屋と墓が上手い具合に隣接している場所が鎌倉です。

何と言っても周囲の山々、住宅地は墓場だらけですし、町うちは女子共が喜々とするような店が軒を連ねています。

 

以前は私どもの住所地だった金沢文庫から一山超えた場所とあって頻繁にぶらつく機会がありましたが今や強烈な観光地化への変貌と渋滞に辟易とし、私たちが相良に転居したこともあってピタリとそちらに足を留めることはなくなってしまいました。

 

昨日は鎌倉「東勝寺」などと記して、そろそろまた「行ってみてもいい」と思ったのでした。

「私を鎌倉へ連れてって」・・・それなら奥方も余裕でしょう。

私の目的は「やぐら」です・・・と言っても「?」でしょうね。

嘘ではありませんし・・・。

 

画像は以前の画像ですが東勝寺跡の図。

やはり拙ブログで記した勝長寿院跡比企能員公一族之墓、各やぐら等近接しています⑤。

⑥は昨日の南部茂時が東勝寺から清浄光寺への最短逃亡コース。大した距離ではありませんね。