清浄光寺塔頭長生院小栗堂 阿弥陀仏座像

ドが付くほどの中途半端な「宣言」とやらの延長。

それで5月末で宣言の解除ができるのでしょうかね。

そもそもその宣言の出す出さないのラインは示されていず毎度テキトー、恣意という語しか思い浮かべることはできませんし論拠はなし。

 

ここのところ当地周辺では全国の感染拡大の様相を尻目にほとんどその感染について耳にしなくなりました。圧倒的に密になる機会がないからに他なりませんが。

とはいえ東の静岡、西の浜松あたりでは相変わらず減少の気配が見えませんので昨日記した如く「油断と緩みは禁物」です。

 

コロナ対策の大敵は「私の心の緩み」ですが、これは長期間のシバリには付き物となります。

そこへ来て、レベルが下がりきらないうちに「Go To」の旗を振りまくったり五輪ヤルヤルで余裕のお祭りムードを演出したりの中途半端な・・・厳しそうで厳しくない、ゆるゆる中途半端のメッセージを出しまくりました。

国民には会食するなと言いつつそのいろいろ発信先のお偉いさんたちが夜間飲み歩いていたなども「平気だよぉ~」のメッセージでした。

 

ガースーの「専門家の意見を聞いて~」の常套句がありますが、それは一つの「間」取り程度の方便。

これまでの色々を見ていて「サラサラ聞く気なし」としか感じませんからね。

最近になって「専門家」たちも彼らに忖度をしなくなって厳しい予測と目途を示すよう。いよいよその「専門家」との齟齬が生じるのでは・・・と。

昨日はその解除の条件としてガースーは「ステージ4脱却」の緩さに対して、分科会専門家は「3から2へ」との厳しいところを提示していました。

しかし専門家でないガースーが雰囲気でそういうものを決定するシステムとは一体何?政治屋稼業は神・仏に近づいたのか・・・

 

昨日は前々日から突如として騒がれ出したのが中国の人工衛星(「長征」とやら)が地球に燃え尽きずに落ちてくるというニュース。しかし知らないところでなんとか無事に解決してくれていました。

インド洋に(勝手に?)落ちていてくれたようですがやはり「そんなのアリ?」と疑問に思ったところです。

世界中をハラハラドキドキさせて・・・

 

確率としては相当低いのでしょうがそんなものが頭の上から落ちてきて人的損害があったとしたらシャレになりませんし「さて、どうしてくれるの」という単純な疑問と、ロケットをブチ上げる国々の間ではその手のことの「取り決め」というものは一体どうなっているのか・・・と。やっぱり「なぁなぁ」だったの?

 

先進国の仲間入りとばかりにロケット、ミサイル、人工衛星などの飛び道具を派手に打ち上げて、落ちてくることに関しては「そんなの関係ない」とばかり・・・「どうせ海に落ちるだろう」というのではいつか誰かが酷い目に遭うのかも。

「ごめんなさい、つい落ちちゃった」と言われても困りますし、あの国でしたら「知らぬ存ぜぬ、アメリカの謀略・・・」などと言い出すかも知れません。

だいたいロケットの名前「長征」とは勇ましすぎる語。

文字通り長距離を進軍して征討するという意味ですが、そんなものを落としてきたら、ますます腹が立ってきますね。

 

長征-ちょうせい―との読みですがそれに反して「長生」でしたらほっこりとさせられます。

長く人生を歩む・・・「長寿」の意ですからね。

昨日の少病少悩に近いものがあります。

「長い」ものには巻かれなくてはなりませんが(まかせる・・・)銘々によるそのメッセージが雲泥の差。

軍事的発想にはそういった考えは出て来ないというかあの国らしい。

 

昨日記した地蔵堂の裏側の道、大鋸の坂道と平行して上がる細い坂道ですが、その突当りに長生院という名のお寺、小栗堂があります。

勿論時宗らしく「阿弥陀堂」小堂といった感じで遊行寺の塔頭です。

ということでご本尊は阿弥陀如来。

六字名号の軸が見えます。

回向文を同時に思い浮かべて南無阿弥陀仏。

 

「願似此功徳  平等施一切  同発菩提心  往生安楽国」

「自分だけじゃなくて みんないっしょ そして安楽の境地に・・・」

それが基本でした。

隅切角に三」が光っています。