5月1日とは恐れ入谷・・・
暖かい御日和は有難いことですがあっという間に時間ばかり過ぎて呆然とするばかり。人生それほど長いようでもそうでもない・・・ですね。
1日には朝比奈原のお宅で法事がありますので昨日午後からは車の運転にチャレンジ。不安でした。
左足の打撲がクラッチの正常操作に影響があるのか確かめたかったからです。
結果はまったく問題なし。敢えて言えば両肩の痛みによってハンドルを回すのがちょいとしんどい程度でした。
最大の難関は正座です。
痛みを無視してムリに坐しても立つ時におぼつかない感じ、ぶっ倒れる気もしないでもありませんね。
椅子を持参するか、出立直前に決めようと思います。
新コロの症状は重症化して亡くなる人もいれば軽症でスグに回復してしまう方がいますね。中には無症状というのもあってそれはとても不思議なことです。
交通事故もその軽重についてはまちまちでその差は殆ど「ことの拍子と運不運のめぐり合わせ」としか言いようのない道理。
私もあの高さから落ちて骨折も頭部の打撲もなく無事だったということはそのレベルであっていわゆる「付いていた」「付きがあった」ということなのでしょうね。
奥方も目の前で起こったことに対して「記憶がない」ということでその状況を思い出せないといいますが、私の傷口や痛みから推測するにまず墓石の頂上に左太ももから(おそらく墓石と90度に)落ちた後、下の段には左手上腕部から、そして無意識の受け身によって地上に落ちたといったところでしょう。
打撲を受けた箇所といえば筋肉で骨が覆われているところばかりということです。
要は落下の際の巡り合わせが偶然ながら「うまくまわった」から・・・でそれが一日で退院でき法事法務に穴を空けなかった理由ですね。
落下角度が少しでも変わればすべてが変わっていたのでしょう。CTの画像を見てそれを評価する医師が「何、この狭窄・・・」とぼそりと聞こえましたが私の頸椎のことです。
それにより神経に触れているところで私が一番に心配なところです。
以前、外科医に「次に何かやらかしたら覚悟しい・・・」と脅かされていましたがそちらの方も何とかセーフだったようです。
すべて「巡り合わせ」が良かったということですがそれを仏教的に言えば「ご縁」でしょう。
そして一体どなたがその「付」を差配しているの?といえば思うのは私の場合は勿論決まっています。
その手の「付」の有無について、とやかく期待されることは「あの方」は心外でしょうが、私は阿弥陀さんと決めています。
ただし私にとって都合の悪い巡り合わせも大いに受け入れますがね。
まぁ、まだ息子に好きにやらせてやれということでしょう。
無善造悪の私、すべて承引。「縁が尽きる」が「運の付」。
「娑婆の縁尽きて~」(力なくして 終わる時 かの土へは参るべきなり)です。
さて、昨日の清浄光寺鐘楼前。
そちらには遊行寺の篤信者有徳人の円意居士と中里理安、理益という人の墓があります。
前者は寺へ五百両の寄進をし、月供料として十五両を収めたという大旦那。
後者二名は中里八郎左衛門理安とその子。
小田原北条に略奪されたままになっていた梵鐘の返還を解決させた功労者といいます。
きっと大金が動いたことでしょう。
当時のお寺がその功労者たちに感謝の意を忘れないためにこの鐘楼の下という特別な場所に墓碑供養塔を建てたということです。
中里の宝篋印塔は上部が失われています。隅飾りの開き具合がまさに江戸期の代物。
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小山昭治 (土曜日, 01 5月 2021 09:01)
あれー似た人が歩いてくる?だけど住職だよなー。
でも 普通に歩いているんだ。まさか!
驚きました。良かったです。
この目で無事なこと、大したことはなかったこと。確認いたしました。
墓参りについでに落下現場を確認しました。
垂れ下がっているケーブルが重そうですね。
間に支柱でも入れなければ無理でしょう。さす股の支柱で下から持ち上げればいいのでは。もう上に上がらなくてもいいんではないでしょうか。
今井一光 (土曜日, 01 5月 2021 21:07)
ありがとうございます。
実は私の落下した梯子はすでに撤去済みなのです。
植栽用三脚に括り付けた梯子は中間点の支柱です。
たるみは本堂側にあって退院後木の方に引っ張ったところああなりました。
力が出なかったためそのまま中止。
いずれにせよたるんだケーブルを伸ばすために西側の木の枝に引っ張り上げること
としました。木の上ならば足場がしっかりしていますので何とかなりそうです。