猫のいる堂と八景に野島 金沢山稲荷山休憩所から

昨日は夫を亡くした奥さんから夫の「壮絶な最期」についてお話をうかがいました。

その壮絶とはいわゆるそれでも周囲に面目が立つようなポジティブイメージではなくまったく真逆のそれですね。

 

その方は高齢でアルツハイマーを患い、2年以上の介護の末、老衰で亡くなりました。老衰なら「自然にまかせる」風でごく幸せを感じますがそうは行きません。そこに至るまでの過程が凄い事になる場合があるのです。

デイサービスの利用をしていたそうですが、ある日「体調が悪そうなので医者へ」と入所を拒まれたそう。

介護施設などの判断で医師の元に送られる(時に救急車で)ことはよくあることですが、事前制約書等の書面に捺印している項目には積極的治療を求めず、施設での死亡を容認する旨あるのですがね。

 

まぁ施設側としては館内での死亡者を出すことはイヤでしょうからさっさと救急車を呼ぶのが手っ取り早いことでれは無理もないことかも。ですからヤバいと思ったら医者へ。

一般的にはそれも適切ではありますが・・・

話が違うな・・・といった違和感を残しつつ、死を目前にして何らかの手立てをする(医師の元へ)ことは仕方ないことだろうと承諾するというワケです。

 

その家族は医師の意見として「食が進んでいない様子から鼻からの送管もしくは胃ろう施術となる」ということで医師から「私は薦めない」と言ってくれたそう。それにより自宅で看取ることを決断したそう。

私もそれは適切な判断だと思いました。

私の父の場合は問答無用で「気が付けば胃ろう」になっていて「人の尊厳」を無視した「無意味(意識喪失)な長生き」をさせられましたからね。大病院の救急搬送だと以前はそのような流れになったものです。

 

自宅介護が基本というお宅でしたがその苦労は半端ではないものがあったようです。

アルツハイマーで寝ていたとしても男の人はイザという時の力がありますので女手では扱いがラクではありません。

一例をあげれば、お漏らしの配慮として三重四重におむつ大小を重ねて装着させて夜を迎えるわけですが真冬に自分ですべてのおむつを強引に引っ剥がしてベットで放尿すること「一晩に2回の日も」などですね。「壮絶」を一つ一つ記していたらキリがないほどでこればっかしは体験した人でなければわからないでしょう。

これを記している私が数年後に痴呆症で意識喪失したうえ大暴れし着けているオムツを取り去ってその場で放尿することも「ある」のですから。覚悟して齢を重ねていきます。

 

これは「木が枯れていく様」と形容していましたが亡くなる2日前あたりから水分の摂取がゼロだったにも関わらずおしっこが大量に出ていたといいます。

そして「枯れ木のように細くなって冷たくなった」と。

 

その「壮絶」を聞き、「私の時もよろしく」と奥方に頼んでおきましたがある意味コロナより恐ろしいのがアルツハイマーと思った次第。

よく「老衰 電池が切れるように」などの「キレイな死」についてそれを望む心を吐露されますが、死に方について選択できませんし夫婦子供であってもその順番などまったく決まっていませんからね。

思うような死に方を選べないというのも人生でした。

 

画像は称名寺。御堂に似合うネコの図。そして称名寺背後の稲荷山の展望台から。

シーパラから金沢八景。④にかつてのエライさんの別荘地、野島の野島山展望台が見えます。

一旦この野島に渡ってから再び「夕照橋」を渡って左折、追浜・横須賀方向に向いました。夕照橋を渡って右折すれば金沢八景駅。

 

昨日は息子からシーサイドライン(モノレール)沿いのかつて住んでいた懐かしいエリアの個人宅の法事にお邪魔したとのことで画像を送ってきました。

「ここが現場だ!!」と鳥浜のデニーズの画像まで。

たしかあの時息子は保育園(並木第三)か並木第四小学校だったはず。

「よくもまぁ覚えていたものだ」と驚かされました。

 

デニーズの件はいつか拙ブログでも記したかと思います新米風女店員が奥方の胸元に絵に描いたようにうまい具合にクリームソーダをぶちまけた挙句奥から出て来た店長風の若い男性が「よろしかったらデニーズのユニフォームをお持ちしましょうか」とフォローに入ったこと。

そもそもその対応は全然フォローになっていず私は爆笑。

まるで吉本新喜劇でも見ているようでした。

この災難はあくまでも奥方に向けられたもので私自身に被害が及んだものでなかったからなのでしょうが、全て承引して笑って帰ったという件。

ちょっぴり後悔しているのはデニーズのユニフォームを着ればよかった・・・と。

今ならブログアップ確定のネタになります。

 

隣のお客が「よくまぁ・・・」と私どもの御咎めなしの退散を奇特に思ったらしくあきれ顔をしていたこと、より一層気をよくしたものでした。

 

確か三井のアウトレットのクライミングのお遊びをしての帰りだったかと。

奥方も「もう家に帰るだけだったから・・・そういうこともあらぁな」と笑っていたことを思い出します。

ただし悪いのは私だそう。

店員さんが私の(真っ黒な)顔?にビビったからと主張していました。

まぁ新喜劇なら「落とし前」・・・とスゴまれるところでしょうか。

折角の横浜にてデニーズというのも何ですが、今一度懐かしみながらあの席(以前のダイクマー現ヤマダ電機側)に座ってクリームソーダを注文したいものです。

その際は「奥の墓道」氏を呼びたいですね。

彼は当家で泥酔させられて帰宅中(泊ってイケの忠告を拒絶)あの近くのグリーンベルト沿いのベンチで朝まで爆睡し、追いはぎにあったという思い出の一帯でもありましたから。

すべてのことがあっという間に過ぎ去りました。

クライミングの壁上りなど、もはやできないでしょうね。

 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 26 4月 2021 08:47)

    過ぎたことは、すべて過去。
    いい思い出ができていますね。
    平穏無事とはいかないのが人生。いろいろあります。
    私もまだ何が起きるかわかりません。
    すべて流されるままに。大河の一滴です。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 26 4月 2021 19:10)

    ありがとうございます。
    おかげさまで楽しい経験をさせていただいています。
    横浜時代も会社と上司に恵まれて好きに仕事をさせていただきました。
    また何より沖縄の時間は楽しい思い出です。
    まだまだ総括するには早いかも知れませんが「未来」ほど危ういものはなく
    ひょっとして「今日でオシマイ、明日でオシマイ」など「人生あるある」ですから。
    刹那を楽しみます。