昨晩は「脳梗塞」について如何にその予兆を察し、できる限り「早く」救急車の手配をするかの大切さを再認識。
以前NHKのその番組を録画された秋野氏からそのディスクを頂戴しました。
私の父もそうでしたが、その病気で倒れ、あるいは後遺症で苦しんでいる方たちを見てきています。
後遺症の酷いものになると、最悪臨終まで意識が戻らず寝たきりのままとなってしまいます。
血栓が脳の血管に廻って詰まり、その先の脳細胞の血液の流れを妨げることによっておこる突発的な病気ですが、往々に時間との闘いになります。
予兆が必ずあるとは言えませんが、それがあったにも関わらず放置してそのチャンスを逃すことは「愚」以外の何物でもありません。
予兆は麻痺やろれつなど明らかに「オカシイ」といつもと違うことを感じることですが、時に血流が再開して元に戻ることがありますので人はそれを「治った」と勘違いするのですね。
治るワケがない病気なのに・・・
ついさっきの「オカシかった体の変化」について「なかったこと」にするとはいかにも無謀です。
この「救急車を呼ぶ」ことに対して躊躇する傾向があるのは特に年配者ですね。
独り住まいの場合は介助の点であきらかに不利ですが、ご主人が倒れて「頭の中が真っ白になった」と言いながら対処できず様子を見てしまう「奥さん」についてよく見聞きします。
勿体ないですね。放置、様子見は生命の存続をその不作為によって遮断してしまいます。
折角の伴侶の存在があるのに「イザという時タノム」の思想が夫婦相互、家族間で欠落しているというのでは勿体ない。
次回盂蘭盆会の法要でそれをテーマにしようか思案中です。
遠慮深い遠州人、ことに救急車を呼ぶことに躊躇する傾向があるかと思います。
さて、称名寺の続き。
講堂から右手側から裏山に上がる道を少々歩けばまた違う墓域結界があります。
この谷部から進む山道の左右を見れば、奥深い山にでも入ったような気になりますが実はこの墓の向こう側は実は住宅地。
海の公園や柴町方向から京急沿いに走る横須賀街道に繋がる道が直下を走っています。
そもそもこの実時の宝篋印塔といわれる墓塔はもう少し下方にあったそうで、それを改修して作り直したというれるのが現在の墓域。やはり南面して建っていたのかと。
当時の様子はわかりませんが、相当荒れていたかも知れません。
宝篋印塔の痛みがよくわかりますが、こういう姿を見るとやはり明治初期のアレ・・・を連想してしまいます。
宝篋印塔は外からの力には相当脆いものがありますからね。
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がつお (木曜日, 22 4月 2021 14:31)
私も父の脳梗塞を経験しました
朝階下で物が落ちる音がして降りてみるとインスタントコーヒーの瓶を落としてしまったとその時点では普通に話せていた
片づけを手伝っていたのですが、父が居間に座ってどうもおかしい(目がうつろ)と思って声を掛けるも反応は鈍い
以前テレビで見た両手を肩の高さまで持って行って私の添えている手を離すと維持ができない
これはと思って救急車を呼びましたね
病院に行って医者の診断を受けてしばらくしたら、医者曰く外見はそんなにおかしい感じがないと言われ本人と話をしたもののいつもよりすこし反応が鈍い感じがしたので、その旨を伝えてMRIを撮ったらやはり脳梗塞でそのまま入院
治療(睡眠薬を導入されていた?)のせいかもしれませんが一時意識はありませんでしたが、一週間ほどで退院し、その後は普通に生活できるレベルでした
兆候が少しでもあれば、回復しても一度医者にかかること(状態を説明してできればMRIを撮ること)をお勧めしますね
今井一光 (木曜日, 22 4月 2021 21:56)
ありがとうございます。
回復しての普通の生活、何よりでした。
私たちはその「普通の生活」の有難さをついつい忘れがち。
普通に死の門出は隣に控えているのですが・・・
私の父は心筋梗塞の入院のあと数年たっての脳溢血でそのまま意識は戻らずじまい。
今思えばヒントはたくさんあったのですがそれを生かしきれませんでした。
ただやはり同時に思うのは往生には「いい年頃」だったとも。
死に方は選べませんがベッドに寝たままというのは回避したいですね。
やはり周囲家族の観察と早い対応の決断、それこそが普通の仕合せですね。