土葬の件追記 弥勒と地蔵 悪趣味の極み 迎賓館

大阪の新規感染者は1209人と最多。「医療崩壊」の悲惨の声が聞こえてきました。医療従事者の逃避の件もいわれていますが当たり前のこと。「絞れる」と錯覚したかここばかり(医療費、施設など)の予算を削って来たのですから。まるで末法の如くの世です。

 

数字の羅列で1000番台を見ると何気なく私が高校時代に記憶した日本の歴史をイメージしてしまいますが、1209年は鎌倉時代初期といったところでしょうか。

来年の大河ドラマの話をするのは今のドラマを楽しみにしている方々には申し訳ありませんが、ちょうどこのあたりの状況でしょうね。

また2021年を通り越して未来に向かって突き進んでいったりして・・・ただ見守るだけです。

 

タイトル通り「13人」と大層な数の登場人物にスポットを当てることになるのでしょうが、各出身地縁地に置かれる最近の傾向「大河ドラマ館」の誘致はどうなるのでしょうね。

まぁ観光客だらけで魅力もへったくりも無くなった「鎌倉」が主役とはなるものの、北条氏出自の伊豆の国市辺りも名乗りをあげようかうずうずしている人もいるのでは・・・

出演者多数はストーリーの纏まりがつきにくく、視聴者が混乱し最後まで付いて来られるかどうか・・・。

一つ見落としすれば次からは「もういいや」になるタイプかも知れません。

 

さて、昨日の棺桶、座棺のつづき。

まず大抵、座棺といえば土葬ですね。

縄文・弥生時代から甕棺と屈葬という送葬が知られていますが大宝二年(702)に亡くなった持統天皇以降に火葬が本格的に普及したというのが定説。先日「唯念寺」についてのブログで記した殯(もがり)ののちに火葬という段取りとなりました。

その裳の期間たるや1年といいますから・・・面倒な風習でした。

 

釈迦の思想(仏法)が流入してから少々の頃ということになりますのでその影響もあったかと思います。

 

今や絶滅風習となった土葬がそれでもこの10年前程度まで続いてきたことについて日本人は伝統を大切にする国民であるということに感服させられるわけですが、その伝統とはやはり地区限定の様。しかしやはり私ども真宗の系ではいたって少ない送葬形式化と思われます。

特に私が思うその地域とは①地域地区による歴史風俗の継承

②仏教でも真言系③神道系に多いような気がします。

 

昨日は棺桶のサイズが弥勒と地蔵のこじつけ慣例について記しましたがこれは一言で「現世利益」的傾向の強いものを感じます。

釈迦入滅後の「末法」をただ悲嘆するのではなく56億7000万年後の未来を夢見つつ、欣求浄土は「やはり今」ということで現出する弥勒とその浄土を求めるスタンス。そしてもしそれが叶わないのなら地蔵の招来を求めそれまでの幕間ツナギをしてもらおうという思想があったということのよう。

私どもの阿弥陀浄土必定の「南無阿弥陀仏」思想とは異にする事大ですね。

 

弥勒の現世招来を希望する世相があった歴史はどこかで「私が弥勒菩薩です」という眉に唾を付けるような件が頻出したといいます。

ひょっとするとその手の「お有難いお方」がそろそろ登場する頃かも知れない末法を思わすパンデミックです。

 

画像は友人の「女墓場」が送って来た画像。

四谷をぶらついて迎賓館に立ち入ったとのこと。

この辺りもお巡りさんだらけで車でまごつけばスグに取り締まられるエリア。ちょっとしたうっかりが金銭的ダメージに繋がります。

その画像を送られて私はどうコメントしていいかわかりませんでしたが、ちょっとばかし皮肉を。

「ちょっとばかし」としておかないとへそを曲げて今後私の期待する画像を頂戴できなくなるかも知れませんからね。

それが①と③の緑色のカラコンですが「如何にも無粋」です。

その他はノーコメントでした。

 

聞けば入園料を取られるそうです。

海外からの偉いさんを接待する場所ですが本来、外国人というものは「日本の歴史や文化に触れてみたい」と思うのでは・・・

おフランス風の絢爛豪華の物まね洋風建築物は失礼な物言いではありますが、これこそ棺桶の如し。

ここは日本ですからね。

最後の画像など映画の「オーメン」か「エクソシスト」を連想しました。文明開化の悪趣味の一言。