花まつりの日 相良の古刹 平田寺

都内在住の方から。

お隣さんの老夫婦が数年前、80代前半の頃、飲酒に絡んで奥さんと喧嘩になったご主人が「出ていけ!!」と言ったそう。

まぁどこでも見られる爺さんの暴言の類ですが・・・。

奥さんは「どこにも行くところが無い」と言い返すとご主人は「警察でも何処へでも行きやがれ」・・・と言い放ったので仕方なく家を出たとのこと。

するとその後、奥さんが警察官に連れられて帰宅、ご主人を説得したとのこと。

本当に警察に向かったことも驚きですが奥さんは「もはや無理」とばかりに翌日、施設入所を決めてそちらに入ってしまったとのこと。

その後奥さんは施設で亡くなりますが、老齢の男が一人で暮らすことも「もはや無理」を超えて悲惨の域になるというのは世間様大概の例。

 

ご主人の衰えは顕著となってやはり施設に入ることになります。

ところが入所してすぐ、トラブルになったそう。

本当に些細な事で聞けばバカバカしく思いますが人の怒りのその顛末とはそんなものですね。

施設の廊下を歩行する際その方は杖を使っていたとのことですが、床を突くその音が「うるさい!」と同じ入所者から指摘され、諍いになります。

その二人の間に入ってコントロールすべく入った若い施設担当者が「静かにね」と宥めるもさらにその言葉に激高してその杖を振ったそう。

よりによってそこを通りかかった車椅子のお婆さんにその杖が
直撃し、施設からも「もはや無理」と強制退去になってしまったという件。

私はご本人の生活がこれから荒んで快適とは程遠いものに陥ることを予測しますが、しかしながらその選択は精神的安定度からすれば格段に上等になるための道だったのではないかとも思ったのです。

 

先般、大腿骨を骨折してコロナ禍の入院生活を経て退院した叔母は新たなリハビリ老人介護施設に入所することになりましたが入所2日経った昨日、当人より電話があって(電話して話させろと暴れました)「今スグここから出せ!!」でした。

日頃温和な叔母が「烈火の如く怒り捲った」と。

私は「花まつり」法縁で平田寺本堂でまったりと過ごしていましたのでまさかそんなことになっているとは思いも知らず。

奥方が「暫く・・暫く・・」と対応して何とかその場を収めようとしたそうですが、仕舞いには先方担当者が受話器を叔母から奪い取って強制終了していたようです。

 

その施設の皆さんの努力と対応には頭が下がるのですが、もうちっとばかり何とかならないか・・・とも感じます。

うるさいと喧嘩になったところに「静かにね」といわれれば一方的にその非について問われているようにも感じるでしょう。

嘘でも何でもいいから骨折を完治させるためのリハビリについて追加療養が必要だとか何とかうまいこと丸め込めないものかと。

 

俯瞰するにあの手の施設の皆さんは若くて真面目の一本やりの感。それはとてもすばらしいことですがね。

そしてもう一言。

私はあの手の施設へ長い間出入りしてきましたが、その

施設内での色々について「私は無理」とポツリと吐いていました。

たとえばお絵かきに童謡歌、みんなで共同制作する切り絵等。

叔母の食事は糖尿の気があるので食塩と糖分コントロールがありますので「不味くて喰えない」となるのは当然でしょう。

食事の味についてはともかくとして、老人介護施設だから切り絵お絵かき童謡にお遊戯、そのような幼稚で画一的な痴呆防止策、リクレーションの提案は少々疑問です。

人それぞれで培ってきた経験もプライドの高低も違うはずですからね。

 

前出の強制退去させられた男性は「絵を書いたりまた、歌なんか歌えるものか」とも言っていたそう。

向こうもムリならこっちもムリなのですがね。深く同情したところです。

今は心を鬼にして叔母を何とかそちらに封じ込めておくことが肝要と考えています。

帰宅したら自宅周囲の人たちが迷惑するでしょうし。

骨折もまた一つの「縁」だったのですがね。

さて自分のその時、「縁である」と達観できるのか・・・

 

ここで親鸞さんから(歎異抄)。

「なごりおしくおもえども 娑婆の縁つきて 

        ちからなくして おわるときに 

              かの土へは まいるべきなり」

 

上記画像は平田寺「花まつり」のお飾り。

お釈迦さんのおわす甘茶のハウスの屋根に生花でのお飾りが。

これを仕上げるのは大変な労力です。

ちなみに拙寺にはその用意がありませんので当番の際はそのカタチに近いものをお借りしています。

 

③は大阪管区の発した天気予報。

13日14日が当初予定していた拙寺春のバス遠足の日。

コロナ蔓延の畿内行脚についてその中止順延はベストチョイスと喜んでいましたがこの13.14の雨予想を見て、ニヤニヤしている次第。

次の旅行当日に雨だとしてもそれもまぁ「ご縁」ですから、天気のことをどうこう言えません。しかし昨晩21時の突然の雷雨には驚かされました。

 

下図は平田寺のパンフ。

素晴らしい遺物の数々にため息が出ます。

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (土曜日, 10 4月 2021 21:59)

    私も同感です
    正直高齢者施設の様子をテレビ等で見ていて、入って楽しいものだろうかと思います
    どう見ても施設職員は年寄りを小ばかにしているようにしか見えなくて、他人様を預かるので致し方ない部分もあるにしてもあれはどうなんだろうと思いますね
    家は幸いにして父も母も自宅で看取りましたが、故あってその前から自分が自宅にいたので生活リズムというかそういうものに慣れていたのと痴ほうがなかったので、さしたる問題はなかったですね
    口喧嘩は日常茶飯事でしたが、それができるのも、収まるのもお互いを理解しているからでしょうね
    相手がお客だと思うとなかなか
    下手すれば利用者の家族から訴えられかねないですからね
    個人的には預けた段階で利用者の家族としては煮るなり焼くなり好きにしてくれと思わないといけないとは思いますが

  • #2

    今井一光 (日曜日, 11 4月 2021 06:59)

    ありがとうございます。
    家で父母を看取るという御苦労もいかばかりかと。
    私は安直にも施設のお世話に頼るばかりですが心の片隅には「申し訳ない」の気持ちが
    残っていて、亡くなった時「ああすべてが終わった」のような安堵のようなものまで起こりました。そのあたりも「しょうがなかった」の開き直りの気持ちで過ごしています。
    問題は「私のそのとき」というのが最大テーマとなったこと。
    ところてんの如く歳に任せて押し出され同じ道を歩むことになりますからね。
    お遊戯とお絵かき塗り絵に歌・・・どれもこれも絶対イヤ・・・わがままが通らないのもまたイヤ。自分の始末、頭が痛いです。