四十九日の法要がここのところ続きましたがこれは前年、年初からの延期順延がこの時節催されたというもの。
「どうしたものだろう」と投げかけられてわたしからも「49」に関係なくのんびり構えて「暖かな春になってから」とアナウンスしていましたから。当流では法縁にあわせたただの「納骨の日」ですから。
私としても本意はコロナに関係なく極寒の本堂での忍耐を皆さんに強いさせたくないからですが。
そして最近の法要はまずごく近い家族数人のみ。親戚友人は招かない少数形式が増えました。
お斎は1年半以上ありませんね。お弁当を頂くことが多くなりました。
葬祭屋さんなど仕出しの弁当類で稼ぐところが多いでしょうから参列者が絞られては散々なことでしょうね。
最近はまた皆さんその形式に慣れ、「案外悪くない」を実感。
そしてCMなどで「格安葬儀」の声が飛び交い始めいよいよ葬儀社への風当たりは強くなるでしょうね。
私ども寺院もその流れには抗えないことは確実ですが、最近聞くようになったのは「本堂で葬儀ができますか・・・」です。
ある家の前回の葬儀では経費の問題もありましたが、できるだけ葬儀社の手をかけずに本堂の阿弥陀如来を本尊にして行いました。
現状90代後半の父親が危篤とのことで、その確認に来られたということです。
私としてはその件「当たり前」のことでむしろ今の葬儀社ホール形式での催行の方に違和感があることを伝えました。
まぁその本堂での葬儀もご本尊を隠して、方向を変えて葬儀社が新たに斎壇を設営するタイプでした。
葬儀社の利益捻出の手法でしょうが以前は暗黙のうちに葬儀といえば大層な壇が工作されていたことを思い出します。
檀家さんの中からも「葬儀は本堂のご本尊前で」の声があがってきていますがその回帰は各寺院の住職たちにもありがたがられるでしょうね。
現状拙寺檀家さんの中で病院等で亡くなった方をどう寺に搬送するかとそのシステムを考察している方がいますので今後に期待しているところです。
勿論葬儀社の運営を阻害することになりますが、もはや生き残りをかけて「お寺の持続可能性」の模索をしていかなくてはなりません。数年後には淘汰の嵐が吹くおそれ大の予感がします。
さて「四十九院」について。
以前この辺り(近江愛知郡豊郷)をブラついた際の画像を引っ張り出しました。
当時周辺各地のブログを記した尼子や豊郷町吉田の岡村本家や吉田城、 目賀田城にもごく近い場所に「四十九院」なる地があります。
ちなみにその頃のブログにある「場所はこちら」のリンク先がすべて消えていて驚きましたが、グーグルマップは容量の件もあって期限によって消えてしまうようです。
まぁ各お調べいただければ地図はどのメディアでもダウンロードできますので余計なお世話だったかも知れません。
その四十九院についてはまだ地図が残っているものがありましので一応記しておきます(場所はこちら)。
この四十九院にはその地名を冠にする知る人ぞ知る有名なお寺があります。それがこちら唯念寺。
「兜率山四十九院照光坊唯念寺」が正式名称。
私があの時この山号と院号を見て相当混乱したのは言うまでもないこと。
お寺の名だけ見れば本尊が阿弥陀さんであることが推測され、それでいて「兜率」や「四十九院」なる名称から受け取れる仏と
いえば弥勒菩薩ですからね。
本堂の形は本願寺の如く、寺の名唯念寺もまさにその気配、それでいて・・・「四十九院」とは・・・。
そういう場合、古刹である場合が多いのです。
お頭の弱い私の脳内の混乱は無知から来たものですが、このお寺の起源として「行基の近江四十九院」説があってその建立年は天平三年(731)。
ということで私がいつも期待して歩く阿弥陀さん詣でにはならないではないか・・・という思いがよぎりますがこちらのお寺は当初は法相宗、後に天台宗そして永正年間實如上人のときに真宗に改宗していました。
宗旨は拙寺と同じ大谷派なのです。
真宗寺院の多くは室町時代以降の開基が多く、「古さ」という面では他流の古いお寺たちの域に達しませんがこちらのお寺は真宗の中でも古刹中の古刹です。
さすが近江とこの地の奥の深さに感心させられるのでした。
尚「四十九院」といえば土葬墳墓の土饅頭を囲う塔婆の数からそうもいいます。
起源は「殯」(もがり)の風葬。遺体を安置した建物を「殯宮」といいますがそれを模した形式です。
墳墓の前面に6本、左右に14本ずつ、後面に15本、全部で49本の塔婆を建てて囲い、外部からの侵入を断つように作った異空間の事を言うのです。
しかし数えても49本に満たないものもありますから形式化退化してきたのでしょう。
現在となってはそれを昔ながらにやろうとする人は皆無では。
そして「昔ながら」などとその土葬について拙ブログにて記していますが、それはあくまでも特別な地方の習慣。ところ変われば・・・何とやらですね。
当流蓮如さんの御文5-16の通りです。
「~野外に送りて 夜半(よわ)の煙となしはてぬれば ただ白骨のみぞ残れり~」。
火葬の事を記しています。
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