昨日の日曜日は寺楽市の延長日。
よって丸一日本堂内に移動した「お店」周辺でぶらぶらと過ごしました。
天候も朝から怪しくうすら寒し、参拝者も稀れでした。
しかし法要が一日ズレれていれば雨降りの心配の冷や冷やで目出度さは半減以下になりますからね。
「よかった~」と安堵していました。
堂内では暇に任せて「店員さん」らとずっとおしゃべりの花を咲かせましたが、今回初めて出店されたその方のご主人の性質と亡くなった際のいろいろをあらためて聞いて爆笑したり神妙になったり。
板前修業ののち店を継いだその方の気性は荒く、まるでドラマの世界でした。
飲み屋で喧嘩して一旦はその場の周囲のとりなしのおかげで収拾したものの、自宅に帰るや否や怒りが増幅し包丁を取り出して手拭いを巻き「今からぶっ殺しに行くから車の運転をしろ」とその奥さんを脅したそう。
車を出さないとどうにもならないことを察知して奥さんは車を発進、その飲み屋には行かず警察署の駐車場に乗り入れたとのこと。そして「どうせ捕まるんだから、面倒くさい、警察立ち合いの許やりたいようにおやりなさい・・・そして家族の事も考えろ」とそこで2、3分頭を冷やさせて正気を取り戻させ帰宅させたといいます。機転を効かせたストッパーでした。
その方の命日はそろそろ、ある年の4月でしたが、亡くなるのも一瞬だったそう。
奥さんが厨房に立っていた夫の後ろ姿を見たのはその5分前、ふと目をやるとさっきまで居たご主人が崩れるように倒れ込んでいたとのこと。その際の顔に現れた症状についてまるで先ほど見たことのようにリアルに表現していました。
朦朧とした意識の中「救急車を呼ぶよ」というと「うんうん」と反応したそうですが、それが最後の意思表示。
検査後医師から「手のつけようがない」ということを聞きつつ諦めの念。その後すぐご主人は息を引きとったといいます。
診断は脳出血。
たくさんの毛細血管がいっぺんに「花火のように」破裂していたといいます。
くも膜下出血と同じ脳溢血のくくりにありますが他にも檀家さんでこの4月という月に突然取り返しのつかない病状に陥って命を落とした人もいます。
人々は4月1日にまず「四月馬鹿」について何かを茶化して言い合いますが、案外とこの季節、桜の咲き誇る4月初めには「理由の見当たらない不快」をイメージする方もいらっしゃるはずです。 周囲では少なからずありますね。
やはり坂口(桜の森の満開~)の言う通りかも知れません。
寒い冬から解放されて春になると人は大いに安心・安寧・安堵の気持ちに溢れます。精神的にも肉体にとっても。
そこへきて「新コロ禍からの解放」・・・それは「解除」の誤った緩みのメッセージ・・・も加わっていよいよ人と自然のギャップは広がり内からも外からも負担は増していくのでしょう。
私どもも3月末~4月初めの変調は1年間を過ごさせていただく通過儀礼となっています。
①は本堂前水盤に浮かべられた藤の花。世話人さんの手によるもの。
②③は榛原の墓地の梅の様子。
藤の開花もそうですが今節あの梅の実の成りの様子は季節の進みが早すぎ・・・
みんなオカシくなっているのも無理はない。
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