真っ先解除の御先棒、大阪の知事殿の腹積もりは裏返されたということでしょうね。いえいえ知ってのことなのか・・・
まったくお気楽判断の甘さは呆れるばかり。
さすが西の横綱、最近では東京の上を行っているようです。
今の関西圏とは「いったいなに?」の状況ですからね。
何度も記しますがお寺の納骨バス遠足は4月中旬の予定でしたが我ながらその中止延期の判断は上出来。
いくらお気楽極楽ノー天気の私でもそのくらいの予測くらいつきますから。
しかしながらアベノマスクといいイソジン知事といい、いったいどこまで「バカなの?」と首を傾げるようなえらい人、多いですね。枚挙にいとまがないくらい。それこそが人々の悲劇なのですが、市民もやはりお気楽極楽ノー天気。
なにせ紙上にテレビと「マンボ」の語が飛び交っていますからね。ことに20代が「躍って」います。
私も元気なうちこその皮肉タップリですが、皆自分がこのウィルスにかかってのたうち回ることなど考えてもいないのでしょうね。
まぁ殆どが感染しても発症しないスーパースプレッダーに変異株の大繁盛。
自分は良くて人に感染させまくるという最悪・・・発症者だけターゲットにしても空しいだけですからね。
さて、先日は川崎在住の方から直電をいただきました。
拙ブログの掛川世楽院の記述についてですが、是非行ってみたいがあの『松浦兵庫頭 朝倉筑後守宣正 「群類」』の墓石はどうなった?との問い合わせでした。
てっきり自家用車で行かれると思いきや車はないので公共交通機関を利用するとのこと。
地理的には掛川駅の北で倉真温泉行のバスに乗れば行きつくことはできますが、バス停「倉真小学校前」(乗車は20分弱)からも歩くことになります。晴れていればハイキング気分ですが裏山の倉真城址をも散策するとなるとそうはゆっくりできないでしょう。帰りのバスの時間が気になります。
掛川駅発のバスもぱっと見ですが8時20分、11時、15時、17時と極端に少なし。
その方から「できたら再訪してレポートを」・・・とのことでしたので気軽に引き受けました。
以前のブログでも記しましたが何度かブラついた倉真城と世楽院ですが一番の記憶は母を当時居た施設から連れ出してあの野山をドライブしたこと。
そして何よりも寺の駐車場で母が「車で待っている」との寂しい言葉が返ってきた思い出のある場所。
あの時は既に自身の足で歩くのが辛かったのでしょう。
よってその気軽な要望に応えられたのは「母のイメージ」があることと、あの墓地の完成の姿をまだ拝見していなかったからですね。
昨日午前の法事のあと桜と黄砂の煙る倉真の里に向かいました。あの永代墓らしき新品の塔の脇に墓碑銘板を記して鎮座されていました。
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