市井の戦国の女性とは フロイス記述

先日は地元「い~ら」で催された小和田先生の講演会戦国の女性たちと城に出向いたことを記しましたが昨日の千田嘉博先生の紙上コラム「戦国の城と女性」から。

「戦国学者」として人気の両雄ですが最近はどちらも「女性」というのがポイントですね。

 

昨日は勝龍寺城の画像、そして表題が「ガラシャ 自身で選んだ死」でした。

誰に言われるまでもなく自分自身で死を選択したということは紛れもない事実、堂々と「結論」を導く姿勢はまさに男と同じでした。

 

この人は城主の妻と言う特別な階級にある女性ですが先生は「市井の女性」ということでフロイスの記述(岩波文庫「ヨーロッパ文化と日本文化」から)を紹介していました。

それが「日本の女性は、夫より前を歩き、夫とは別に財産を管理し、夫に金を貸し付けたりした。そして夫に知らせずに好きなところへ行く時間をもち、娘たちは両親に断りなしに、1日でも幾日でも1人で好きなところへでかけた」。

戦国の日本女性は欧州と比べてより自由に自立的に行動したといいます。

最後に先生は「わきまえる女性」のイメージは戦国時代には「まったく通用しない」と。

概ね小和田先生と同様の論でした。

 

まぁフロイスの日本女性の感覚はまったくその通り、当方奥方などまさにそれです。

どれもこれも的を射ていますが、この数十年、ちょっとしたヘマをやらかしたタイミングに「貸した金返せ・・・」ですからね。

戦国の女です。

 

エラそうな女性政治屋さん?の名が週刊文春に。

高価そうなお食事会のご接待を受けていたことを報道されていましたがそれも今の男ども同輩と同じこと。

「やることはやるよっ」てな感じですがこれも男女機会均等・・・ただしセクハラの場合、女性加害については大甘のようですが。

 

さて、画像は南側墓地の昨日の重点課題。

前回完成させた土地改良とベタ基礎コンクリベース10区画に続いてその西側の区域に同様の施工を予定していますが、そちらとは別の沈下の目立つ2基の墓石をとにかくやっつけようと着手していただきました。

 

二基のうち、一つの沈下は微かにある程度ですが一方は大きく傾斜していました。

墓石の撤去と組みなおしには大層な出費となることがわかっていましたのでその「酷い方」を一旦撤去するのは致し方ないとして微かな傾斜の方をそのまま残すことにしました。

 

もっとも「微か」と言っても1㎝弱の差が出ていますので修正は必要です。

撤去した墓石のあとの地盤を深堀りしてもらい、ジャッキアップ、上がったところに根太用の金物を5個入れて水平を保持したままコンクリを流し込むという算段です。

無論その上には元通り墓石を載せますので地盤の転圧と単管パイプ(コンクリ注入)をコーナーに四点ユンボのパワーで打ち込んでもらいました。

残した方の墓石下側に鉄筋を打ち込んだのは双方の水平を維持することを意図しています。

 

通常、単管パイプの打ち込みを依頼する際は大ハンマーでの手打ちですから雲泥の差、現状パイプが止まるところまで打ち込んでもらっています。

出来上がった墓石から東側の墓域の改造成は諦めました。

境内で伐採したあの「父の木」をこちらに運び込んで「ちょっと休憩」の場にしようと思っています。

 

これで傾いたとしたら・・・もはや打つ手はありませんね。

奥方は「すべてが徒労に終わること」も頭の片隅にあるようです。

世の中、たくさんの墓地がありますが、山を切り開いての墓地など一体どう対応しているのだろうと首を傾げるところ。

中には1㌧近くの重量になるものがありますが、それがまともに建っていられることの不思議。

寺としては最初からそのリスクについても事前承諾していただく必要があるかも。

 

最近、世話になるようになったこちらのコンクリ屋さんは親子3人のチーム。年配の「女性土建屋さん」は、一丸になって動き回っています。

 

最後の画像は震災時間に御開祖にお参りする檀家さん。

親鸞さんの足元に舞鶴殿が鎮座していました。