昨日は地区の一般ごみ収集の前日ということもあって叔母の家の片付けに。
叔母は「泥棒が入る」というのが口癖であらゆるところに施錠しておいた挙句毎度の如く「鍵がない」とそれを探し回って無駄な時間を過ごす時期がありました。
玄関ドアを二重ロックにして鍵を紛失、そのたびに鍵屋を呼び付けたり近所の皆さんに訴えては一騒動起こしていました。
思い出すのは筋向いの奥さんが手伝いを依頼しその人が力任せにドアを引っ張った際、勢い余って金物が顔に直撃して眼鏡を壊したこと。
「気の毒だ」ということで眼鏡を弁償したこともありました。
泥棒が入るという妄想によって鍵をかけまくり毎度毎度余計な苦難を味わうという姿は一言で「痴呆」とは言っても相当周囲を困惑させます。
放っておけばいいものをご親切に菊川署に通報した方があった時、保護者として私が呼び出されたこともありましたね。
裏に住む青年に「あいつが盗った」などという言いがかりについて「名誉棄損で訴えられる」と叔母を諫めたこともありましたが痴呆の人に正攻法で対峙することは無意味なことですね。元気すぎるほど元気(説得力がある)ですので第三者はてっきり騙されてしまうのです。
その後痴呆はおかげさまで酷い進行に至らず昨日記した通り要介護「2」と「3」の間というところですが「自宅には戻れない」とのご指摘の通り、部屋を片付けに行っています。
その部屋の箪笥2竿と離れの六畳間の鍵が不明につき「そろそろ大ハンマー・・・」を持ち出そうかというところ、ギリギリのところですべての鍵を発見することができました。
鍵の発見ときたら解錠につきお宝ご対面のお楽しみとなります。期待を込めてすべての鍵付きひきだしなど解錠するもすべて叔母さんの大事にしていた衣類のみでした。
またも強烈な古着の山に辟易とさせられながらゴミ類を纏めて帰宅しました。
衣類はまた次の機会に市役所に持っていくことにします。
さて、先日は久しぶりに奈良の地に舞い戻ったわけです。
あの時は不法投棄のメッカなどと超失礼千万な物言いをしたわけですが本当の奈良は歴史的遺物が溢れた地「日本一」であることは言うまでもないこと。
奈良市から福住に向かうあの道にはたくさんの石仏を見ることができますがその道から阪和道を直交して長谷寺方向に向かいます。
「そろそろ長谷寺」といったタイミング、谷筋の道は右に初瀬山左手に初瀬ダムを過ぎたあたりの右側に「見廻り不動」なる摩崖仏があります (場所はこちら)。
作者は空海と言いますが定かなところはわかりません。
立札を見れば「みまわり」ではなく「みかえり」。
目を凝らして何度も見かえしますがまったくハッキリ仏の姿は見えてきません。お顔は何となくわかりますが体の部分から摩滅が激しく「みかえり」の姿がイメージできませんね。
私の「みかえり」のといえば菱川師宣の「見返り美人」か永観堂の「見かえりの阿弥陀」ですが・・・
「奈良県史7」によればあまり充実感がなく表現力の不足が目立つ・・・様式から見て室町末期の造立・・・と。
ただし仏教的に言って仏(私の場合は阿弥陀さん)の方から始終見られ、監視されているという風に思うことの重大性。
心強いものがありますしすべてにおいてその意味は重く価値ある意義を考えます。
「廻り」の方がより一層「監視」に重点が置かれていているような・・・しばしば路線逸脱する私がそこにいるということなのでしょうね。
そして人は費やした労力に「みかえり」を期待したり。
叔母さんにこれまで小遣いを貰い続け、鰻を幾度も振る舞ってもらうなどどこまでも図々しい私・・・
その思想が無くなりつつある今、人は孤独に悩み、自分勝手に行動し、思い上がり、協調せず、独りよがりの暴走に至るのでしょうね。
⑤は奈良方向、右手に初瀬ダム。⑥が長谷寺方向。
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