北関東の山火事は何とか鎮火に至ったということで一安心でした。
2月は相当降雨が少なかったようでいつもの調子で馴れ馴れしく火を取り扱ってかつ大いに油断した結果あのような火災になったということなのですが、それにしても全国的に「まずは故意だろ・・・」と限りなく放火を疑うような野山の火事が頻発していますね。
勿論全部が全部ということではないですが人というものは心のどこかにこっそりと「火をつけてやれ」という邪気が起こるのでしょう。
憂さ晴らしの愉快犯もあるでしょうしいわゆる常人(ここでは一般の人)には理解不能の理屈があるものです。
こういったことを記しているとどうしてもクリムゾン(King Crimson)世代の私としては「21st Century Schizoid Man」などのメロディーを思い起こしてしまいます。
時折テレビの挿入局にさらっと使われていたりしますね。
そのタイトルの通り正常と異常の境目がなく、やはり常々自己の異常についても了解している私ですが、かといって別段それをネガティブに考えていません。
なにせ私以上にオカシな輩はまたぞろ揃っているというのが人間社会だからです。
皆さんは心当たりありませんか・・・
昨日のブログで自然界にプラスチックが溢れ、生物、人類の生命の危機が迫っているという内容の番組について記しましたが、みなさんその件表向きは合点賛同し、その対策について順応したかの態度を示すのですが実際、というか現実はやはりその表面とは相当乖離していると思われますね。
それは野山はゴミだらけだからです。
ゴミの件、頻繁に処理場を往来している身ですのでその分別の苦労、家電等処理への多額の処理費発生についてまさに体験しています。
家電三品目以外の家電でも高額な処理費の発生する代物は多岐にわたりますね。
家電でなくとも金庫など内部に耐火煉瓦が入っていますので通常の処理場では受け付けてもらえません。
分別が面倒かつ処理費に出費が嵩むとなると人はそのゴミをどうするかといえば一番簡単なのが野山へブン投げることを思うのです。一番カンタンで経費のかからない・・・ただし犯罪。
以前拙寺境内に投げ込まれた液晶テレビについて記しましたが山の谷底にうっちゃれば「誰にも迷惑をかけていないだろ」というのがその人の単純発想かも知れません。
大型冷蔵庫8000円、金庫5000円(一般処理業者)・・・一緒くたに谷底に放り投げる人が後を絶たないのは人の心の中に異常な何かが起こる(否 もともとある)から。
私が奈良市内から白毫寺の南を通過して名阪国道の福住や天理方面に向かうには福住矢田原線というアップダウンが結構ある峠道を通過します。
静岡県人の私が気安く通過する道ですので地元の人達は当たり前の道なのでしょうね。よって対向車にはケアしなくてはなりません。
その道の谷側に白い鳥居があることを以前から気づいていましたがある時、その鳥居を覗いてやろうと車を停めたことがありました。
①の如く鳥居の上部だけが道沿いから見えていました。おそらく伐採物等を「処理」したのでしょう。
「八大龍王大神」とありますが地元では古くからその信仰があったのでしょうね。
そしてその鳥居の向こう側は今や自然の「ゴミ処理場」と化していました(場所はこちら)。
龍といえば特に大雨、水害の天変地異、自然界の災禍をコントロールしてくれる守護神。
このザマを見て、自然は人の思いとは裏腹に動くはずだと合点するのでした。
自然への畏怖というものが消えた人間の末路とは・・・
近い未来にもっと恐ろしい何かが待ち受けているような気がして・・・
山中谷筋に監視カメラを敷設していかないと人の不埒で悪辣な心を擡げるのを防げないかもね。
前述のクリムゾンの曲の歌詞に「本当に必要としているものは何も手に入らない」という件があります。
人々が求めているものは唯一心の安定、「安心」であると考えます。
それが一切、実は「手に入らない」ことを示唆しているように感じます。
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