NHKクロ現は「コロナ禍の心中」でした。
中でも親子の心中が増えているといいます。
厳しい言葉を言わせていただければ「親の衝動で子を連れて行くな」でしょうね。これもやはり「子殺し」。
しかしそういった事案が多々あるということは如何にも辛い世の中だということです。
番組では「お節介は憚られる世かも知れないがそれを求めている人もある」ような意見がありましたが、「寄り添う人」「話を聞いてもらえる人」の存在をあらためて知つた次第。
父と子の関係以上に子を思う気持ちが強く出てしばしばマイナス要因となるのが母の存在。
「女殺油地獄」でも母の子への思いはその「用立てしたい」金の額の違いからもわかります。
先日、一つ頂戴した石垣用の石材を積み上げていると同業の作業員と思われたらしく、ある人に声を掛けられました。
私は以前も記したことがありますが、各雑用をプロに任せるでなく自身で「やっつける」(やっつけ仕事)ことで経費を浮かすケチな性分で外の人が見た時、植木屋、塗装工、石屋、屋根屋、自動車修理屋の類とよく間違えられます。作業着姿ですからね。
他所でもその傾向は強く各地のその場のスタッフと勘違いされること多々。
それだけこの周辺の人々は気さくに声を掛ける方が多いということですが私自身他人様に「声を掛けられやすい」ことは確かかも知れません。
奥方も「奥の墓道」氏もそれを「怪しいコスプレ野郎」と笑っています。私も本当のコスプレこそ「坊さん姿」・・・と突っ込み返します。
まぁ最近はお巡りさんの職務質問に関してはなくなりましたが。
尚、相良の町うちには相良城石垣(らしき石材)が各所に散らばっていて、それらが処分されそうな際は私が引き取らせていただいて境内外構に積ませていただいています。
散歩に通りかかったその人は「上手いもんだ」と一声。
この手の第一声は仕事が上手かろうが下手だろうが関係ない、いわゆる「挨拶」であって真に受けてはいけません。
手を休めてしばしのお話タイムでその人は人を使って屋根工事全般の仕事をしていることがわかりましたが、拙寺のごく近くに住んでいるとのこと。
私が寺の者と知ってひどく恐縮していましたが、散歩中にあったエピソードを紹介してくれました。その方は気が向くとただ散歩するのも勿体ないと袋を一つ持って周辺の空き缶拾いをすることがあるそうです。
あの手のことをもくもくとやっているとそれを捨てる人間の存在に腹が立ってくることはよくわかります。
そんなとき本堂裏辺りで高校生が飲み終わった缶酎ハイの缶を境内に投げ込むところを目撃してしまったとのこと。
どうにも止まらない衝動にかられてその男の子を「確保」し空き缶を回収させ尚飲酒ということもあって「今スグ親を」と呼び付けたそう。
まぁ「警察か母親か・・・」ということになればやすやすと母親は飛んでくるでしょうね。
当然に母親への説教となるワケですがその母親は「みんなやっているから・・・」のトホホの呆れかえりの返答だったとのこと。
片付けるゴミが一つ減ったことへの感謝の意もそうですが、今時そこまでやってくれるオトナは少なく奇特な方で有難い。
放任していたら見ていて何もしない の同罪・・・ですね。
その子は感謝すべき機縁をいただいたわけなのですが、母親のその言葉の劣悪さは現代を象徴しているかの如くで不愉快でしたね。
さて、先日記した真正極楽寺(真如堂)ですがサイトには宝物など画像がアップされていて大盤振る舞い、ケチケチした様子が見られないところ好感が持てますね(→真如堂宝物)。
真如堂の最大「有徳なる人」をあげれば三井家ですが当初こちらへの関りは塔頭寺院の東陽坊の檀信徒になることから。
その東陽坊の名こそ住持、東陽坊長盛より。
その人は利休に茶の道を学んだ人でいわゆる「薄茶」を広めた人(→長次郎作の黒茶碗ー利休七種「東陽坊」)。
そしてまたこの人を有名にしたのが秀吉の北野大茶会の副席茶室だと言われる「東陽坊」です。
こちらは以前のブログ建仁寺の安国寺恵瓊の首塚の後ろ側のそれを紹介済みでした。そ
の東陽坊長盛の墓は真如堂墓域にあります。
①②は建仁寺。③~が真如堂墓域の長盛の墓。
ちょっと失礼して画像な。慶長三年四月五日。
尚「東陽院」は東陽坊に因んだ名称。
コメントをお書きください