大腿骨を折って手術、その後の叔母の快方の道は榛原病院リハビリ棟から始まります。
勿論入院以来叔母の顔すら見ていません。
リハビリ棟の医師含めたそれぞれ専門スタッフとの面談のみですが叔母の様子を聞けば「痛い痛い」と言いながらリハビリに励んでいるそう。
しかし「ここはどこ?」を連発しているようで退院後の生活についてが今後の課題。
奥方はスタッフの指示により御前崎市役所に赴いて介護申請を進めてくれています。
大概の予想では復活は「もうムリ」というところですね。
叔母の概況について、お調子にのって「叔母の年金たよりに鰻の馳走にあずかる」など記していましたが、虚しくもそれを記した昨年の10月13日から3カ月もしない間の出来事、あまり軽口はイケないものだと切に思わされたところです。
しっかり「見られている」という感じ。
その際ブログに記したのは野崎観音(こちらも またはこちら そして野崎城)でした。
あのセンセのおかげで「日本人は女性蔑視の国民性」というものを世界に発信してしまったわけですが、あの野崎観音は古くからの「女性守護」を掲げる観音(十一面観音)さまで大阪では絶大なる人気。
しっかりと「女は守るべき」の思想は本邦古くから根付いてるのでした。
野崎参りといえば浄瑠璃・歌舞伎でも取り上げられていますが、近松の「女殺油地獄」(おんなごろし あぶらのじごく)の冒頭場面もそちらでした。
そして油屋、河内屋の放蕩息子与兵衛の台詞が面白い。
男、男と何かとつけてそのフレーズが。
おそらく「女殺」のタイトルと相反する「男」の語を作為的に入れたのかとも想像してしまいます。
たとえばそれは
「男が立つまい 世間が立つまい」
「河内屋与兵衛も男じゃ」
「男でもない 杭でもない・・・」(立つべきものとして)
「男が名利にかけ 男立てねばならん」・・・等々ですが
要はその立つ立たないは女遊びに耽った借金を返せるか返せないか・・・それ一つ。
まぁそういった放蕩息子を作り上げてしまったその環境について示唆する部分あって私も少なからず「甘やかされて育った」と(特に妹から)指摘される部分あって耳の痛さも少々・・・
「その甘やかしがみんな毒になる」という言葉もありました。
今、男の強調「男だろ・・・男なら・・・○○男児」は陳腐の語彙。
そういえば私の好きな「寅さん」の正式なタイトルは「男はつらいよ」であって今の時代にそぐわない言葉でもあったわけで。
女だって「つらい」のは当たり前。
その「別」を主語にするものは一発退場の時代が来ているということを知らない無知こそおそろしい。
あのピンボケ「センセ」を守護することはやはり「もうムリ」ですよ。守護方諸氏・・・
さて、昨日は大河ドラマ最終日。
光秀の本能寺のその理由について色々あって考えるだけで面倒くさくなりますが(総合的に各事項からの熟成・・・か)いわゆる斎藤利三が光秀の背中を押したという説が最近になって出てきています。
利三といえば小田原出身の私としてまた色々イメージが湧きますが、京都の真正極楽寺(通称「真如堂」)もその一つです。
ただし本日は野崎観音の前振りをしたこともあって本尊の阿弥陀如来について。
秘仏で普段は拝観できませんがしっかりと真如堂のサイトにはアップされています。
その阿弥陀さんは通称「うなずきの弥陀」と呼ばれています。
サイトに記されている通り、
~慈覚大師円仁が阿弥陀如来像をつくって、比叡山修行僧の本尊として完成させようとしたところ、阿弥陀如来は首を振って拒否。次に「では京に出てすべての人々、特に女性をお救いください」と頼むと如来は三度うなずいた・・・というものです。
女性救済の理念はそれだけ男性上位の世界があったからである・・・とはいうもののやはり日本文化には「特に女性を守りたい」という発想があったのでした。
本来の仏教の救済の教えに「老若男女」の差別はないはずなのですが甘やかされると人は「自分教の教祖」になりがち、今回の大河ドラマでいえば「月に上る」といったところでしょうか。
そういえば高みに上がったっきりで誰も下りてきませんね。
モリセンセの上った木はどなたが伐り倒すのでしょう?
女性を言葉で殺して油まみれの地獄の態様は近松の示唆するバカなオトコの再現か。
画像は真如堂、季節感ナシで失礼します(場所はこちら)。
京都黒谷、岡崎の当流岡崎別院から北、金戒光明寺を経てスグの場所になります。
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