静岡はこれまで最高の127人。全国で最高更新は福島と2県、赤く記されていました。
静岡でも神奈川に近い東部が増えているようですがさすがド田舎の当地は榛原病院内のクラスターを除いて世間様の大騒ぎの割にはその発生が少ないように感じます。
いろいろ表に出て来ないものもあるのでしょうが、産業もない、観光地化していない、賑やかでない、そもそも住人もいない・・・など少々自虐的ですが、それが新コロを寄せ付けない秘訣。
「新コロはおカネとともにやってくる」が正論。
ということで経済とコロナを両立などできるワケもなく「経済を止めればコロナも止まる」が正しい認識かと。
こうなったら「1カ月くらいすべて止めてしまえば・・・」などとヤケクソを提案します。
とにかくあのガースークンは「間抜け」の躰でいかにも頼りなし。
やたらとテレビ番組に出演するようになりましたが、1分に一回の「思います」(どなたかの指摘がありました)の語尾連発に呆れ、あの「ご挨拶とかえさせていただきます」のソーリ殿のコメントの締めを拝見してひっくり返りそうになりました。
例の大阪等の緊急事態宣言の発出依頼について「必要があれば即座に・・・」の弁は如何にも不可思議。
要は「不必要であってそれは出さない」ということですからね。岐阜なども「独自で出す」といいますが・・・それ以外の県でも「早く、早く」の声が聞こえています。
「早く」といえば昨朝の日曜討論という番組にガースークンが出演していました。
冒頭で北陸地方の雪害立ち往生対応について振られていましたが「予想できていることで迅速に対応している」と仰っていましたが、夜遅くなってもまだ道路上に缶詰になっている車、人がいるようです。
まったく「迅速」とはいえないような。
奥方はその気の毒な人々の存在に憤りを隠せない様子。
コロナも命にかかわりますがそれって緊急、喫緊の対応力が必要な件。
「予想できている」を連発していましたが「予想できない無能」との指摘を嫌う発言と見ました。
予想できて動けない方がもっと無能なのにね。「南無三・・・」
死人が出ますよ・・・マジめにやらないと・・・
そして私が思うにここはチャンスとばかりに指導力を発揮する場面でそれはそれは勿体ない事をしたと思うばかり。
それができないガースーと取り巻きたちの力量をも疑いました。
取り敢えずは自衛隊のヘリで現場に行って国交省大臣引き連れて陣頭指揮をするフリでもすれば彼が執着したいソーリ殿の席は安泰だったのに・・・新コロ失策の名誉挽回の場面でした。
ヘルメットにドカジャン姿に長靴履いてスコップの1本片手に持つ姿は如何にも頼もしく国民はコロっと騙されてしまいますよ。
まぁあの状況、自衛隊員のスコップ姿を見て感じた事。
ガースークンの指示でホイールローダーなどの重機をヘリを使うなどして大量投入したり、高速道から車を降ろすための側道バイパスの突貫工事をさせたりやるべきことはたくさんあるはず。
やはりアホの取り巻きの「不可能です」の否定を自身の固い意思でもって「やる」というのがホントの指導力というものでしょう。
それら何一つ「デキナイ」としても現場の極寒で雪の一かきや物資の手渡しの一つもやっておけば国民の心象は違ってきたでしょうね。勿体ない。
パフォーマンスだと揶揄の声は上がるでしょうが要はそれをヤルという気概すら無し。
温かいところで分厚いステーキを食べている場合ではありませんね。
リーダーというものはまず背中を見せること。
植木等の「だまって俺について来い」が聞こえてきます。
しかしまぁどれもこれも「そのうち何とかなる」のかねぇ・・・と思うところです。
さて、昨日は大河ドラマで本日も「寅さん」。
ドラマはいよいよ終盤、何とか光秀が「信長をヤル」その理由付け、大儀を描いているところですね。
信長の台詞
「本願寺はオレがやる 長島の一向一揆と同じ 門徒どもを焼き殺してヤル」というものが私には印象的でしたが、何より今回の主役は松永弾正久秀。
これだけ松永にスポットを当てた時代劇は見たことがありませんのでいつも外れる私の予想を記せば、いよいよ三好長慶大河の伏線か・・・などと。
三好も松永も宗旨的に日蓮宗を保護し本願寺との対立が当初からあって後に対信長と共闘、「揆を一に」する利に気づいていくのですが如何にもそれは遅すぎましたね。朝倉もそうでした。
番組では今回は松永の爆死はありませんでした。
「平蜘蛛は実は遺っていた」を連想させるのも今回のストーリー。
丁度1年ほど前に浜名湖のカキ小屋に行った際、帰りに平蜘蛛を展示していた小さな美術館に行ったことを記しましたが(美術館は既にありませんでした)あそこには確かに平蜘蛛の存在とアピールがありました(→平蜘蛛画像ブログ)。
そして信貴山城といえばまずはこれまでは名物平蜘蛛に火薬を詰めてほくそ笑みながらの松永の狂気の自爆というパターンになるのですが今回は違いましたね。
その立腹-たちばら-を切っての家臣介錯寸前の言葉が表記。
「げに<なにごとも>一炊の夢~」だったかと。
これは「げにや盧生が見し栄花の夢は五十年、その邯鄲(かんたん)の仮枕、一炊の夢の覚めしも、粟飯炊く程ぞかし」(枕中記)というところから持ってきていますね。
これはどちらか拙ブログでも記した記憶がありますが・・・
また「鉢木」(はちのき)というタイトルの能・歌舞伎などの台詞にもありますが、このストーリーはまさに雪の中で難儀して訪ねてきた旅の僧を全力でもてなした結果・・・というものでした。
トップの人間こそ、その身を切って「配慮 もてなし」をした「佐野源左衛門常世」の如くでなくてはね。
勿論旅の僧とは国民です。国民の目は節穴ではありませんよ。
「一炊の夢」も「鉢木」も各お調べを。
そして松永最期の言葉が「南無三宝」。
三宝とは仏・法・僧ですが略して「なむさん」。
本願寺へ寝返る姿もそうですが信長の宣教師の持ち込んだ異教へも反発しているが如くです。
また大抵は「やらかしちゃった時」、失策を自虐的に吐く語。
信貴山城の中腹にある朝護孫子寺は必勝祈願の毘沙門天のお寺。 信長攻城軍の手でこちらも焼かれています。
本日日付は01.11の1並び。
こちらのお寺は寅・寅・寅の寅並び。
画像は10年以上前のものですが。
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