昨日記した通り榛原病院の感染経路不明の陽性患者の件で、医療関係者から看護関係に従事している人たちの病院への出入りまで制限されるようになったそう。
旭川の病院のクラスター危機に比べればまだまだといったところなのでしょうが市民サービス(医療介護)が滞るよう繋がらなければいいのですが。
今後他の介護・リハビリ施設へその感染経路不明者が広がれば受益者の健康や命のこともそうですが適正な看護が受けられなくなってしまいます。
今のところ健常の私は傍観者の如くあって毎度イイ加減なことを記していますが、病床で苦しんでいる方やその家族、看護している従事者が無数にいらっしゃるということを忘れてはイケません。
静岡市ではこれまでクラスターが14件発生しているとのことですがその店舗名の公表についてそれら飲食業界は頑なに拒んでいますね。
まぁ今後の御商売に関わることですから勘弁願いたいというのはごもっともなことですが、オカシな話です。
病院だと思いっきり感染者の発生が公表されるというのにね。
公開してもらえれば市中「心当たり」というものが出て、少しは陽性患者の発見に繋がるというものです。
要は濃厚接触者の存在があったとしててもそれを隠すということになれば周囲は「気づき」もしないわけで。
この公表は食品衛生上よくある「菌が出た」に対するペナルティ(営業停止)のようなものではなく衆人注意喚起と言う意味で不可欠です。法規制いろいろも遅々として進みませんね。
まぁ各方面、大手の会社でもイメージダウンをおそれて、その発生について「なかったこと」にしようとする動きもあると聞きました。
個人レベルでも陽性判定されることへのマイナス面をただ避けるために何かの不調を感じ病院には来たものの検査せずに市中に戻っていく人が数多いるといいますし・・・
こりゃ面白い・・・と思ったニュースは「PCR検査を2900円で(+税)」という民間の施設が新橋駅前に開業したと。
これまでソフトバンクや楽天が企業用にPCR検査の価格破壊を
進めていましたがいよいよ民間を対象にしたそれが出てきました。
記事では「完全予約制で、1日当たり最大780人を検査できる。個人向けのPCR検査は数万円かかることもあり、費用を大幅に抑えたのが特徴だ。手軽に検査できると予約が殺到している。検査は唾液を採取するだけで、所要時間は約3分。結果は翌日にメールで通知される。平日の営業時間は午前8時~午後9時。土日祝日も営業」とのこと。
既得権があっての障害か、なかなか進まなかったドアが開きましたね。鼻からの検査にこだわる理由も不思議でした。
これは本来は国がやるべきことです。
「タダで何回でも・・・」とし、陰性の人たちで経済を廻して行こうというのが本来のスジ。最初からそれをしていれば今のような状況にはなっていなかったでしょうね。
画期的なニュースに感動して本日のブログの表題にさせていただきました。尚、アクセスが多いのでしょう現状そのサイトには繋がりませんでした。
今年は冬の初めといえ暖かすぎ。
それでも昨晩は重傷者505人の過去最多の報がありました(死者は昨日45人、今週1週間で約200-先週は110人 12月は月間1200人ペース)が、乾燥・厳寒期となるこの先、病院もパンク(昨日の大阪の病院の如く)するとなるとみんなが期待するワクチンが届くまでもたないのでは・・・心配してしまいます。
十三の病院関係者は普段は「したことのなかった納棺」までその仕事になったといいます。
医療関係者と一言で言ってもそれぞれ分科されていて棲み分けがあるのですが、それを一律「コロナ専門病院にします」と言われてもそこには混乱しか残らないでしょうね。
昨日は新聞記事で今の「病床数を増やしています(のでご安心ください)」のアナウンスに対して、「飛行機を飛ばす(パイロット)経験の少ない者たちばかりの中、「飛行機はたくさんあるので安心だ」と言っているのと同じ・・・と。
その「パイロットや整備士」(医師と看護師)を新たに集めることは大変なことでしょうね。
コロナに特化した病院を急ごしらえでブチあげてその後のフォローをしてこなかったツケとはいかなることになるのやら。
経済を廻して「コロナになったら病院へ」の構図は虚構、すべて病院に押し付けて済ますという無策でした。
通天閣やレインボーブリッジの照明の色を変えたり、交通信号にたとえたりもそうですが、自己満足的「やった感」は本日も「そういうの やめなよ!!」です。「イソジン」もありましたね。
これが真の大阪モデルだったのでしょうがまぁあの選挙のノー天気の大緩みの中「Go To」が拍車をかけたという構図が思い浮かびます。
3日連続で記したその語について一応・・・
先般テレビCMの中でも使われていましたが、私が若い頃の仕事場で私に投げかけられた言葉で懐かしいものがありました。
社員は私、周囲は常識的な思考のパートの奥様たちばかりといった環境にあって皆さんから「あんた社員でしょ・・・」の語でよく言われていました。
勿論愛情込められたその語でもって注進されたとき私は「はい・・・」と神妙になっていましたが。
お調子にのるとスグにそれを忘れて各暴走をついついやらかしたものです。
そういうバカを育ててくれた暖かい言葉でした。
奥方は「超低レベル」と嗤いますが、まぁいろいろ・・・かなり昔私を見守ってくれたパートのお姉さまたち、感謝しています。
政治のバカを治して育てるのは国民ですが・・・さて。
さて、昨日の名高田前激戦地の標から新東名の橋脚を潜って少々のところに須長なるバス停があります。
公民館の名称もそれですが、そちらが浜田の「馬坊柵左端」と言われる場所。
私は最北との解釈ですが、馬坊柵を設置した連合軍側からすれば左端ということになるでしょう。
昨日も記しましたが連吾川は西側に曲がっていますのでこちらは川沿いではありません(場所はこちら)。
本流に合流するごく小さな溝程度の流れはあったのでしょうが③、その「浜田」の名の通り湿地帯を連想します。
③を進めば丸山砦に。
それは昨日の標の通り「田」がある地名。
遠州の吉田や藤枝の田中城・・・敵を誘き出して戦うには泥田が一番だとこちらでも思ったところです。
高さやスケールを誇る城砦よりも難攻度は遥かに増すような。
今の日本の状況は自ら泥田に入り込んでもがいているように感じますが。
①の奥の段丘に秀吉の陣。秀吉は連吾川から離れた場所にいましたね。
コメントをお書きください