昨日の静岡県のニュースのうちやはり気分が良くなかったのは榛原病院のリハビリ棟で3人の陽性が出てしまったこと。
外部との接触が無かった人たちです。
他の医療従事者と事務職すべての検査ではすべて陰性。
感染ルートが掴めていないところがまた恐ろしい。
今、何かあっても気軽には病院へ行けなくなったよう。
12月2週すぎあたりから静岡もこれまでの暖冬気分をぶっ飛ばすくらいの寒気が訪れそう。
環境の変化と体調には気を使っていかないと・・・
先日は大阪出身の20代前半の若者に私の知ったかぶり「十三って知ってる?」などと聞いたことがありました。
この大阪の難読地名「十三」は関東あたりの若い人ではまず読めないはずと思っていたところ(奥方にも聞いたことがありました)、大阪の若者がたまたま目の前にいるということでそれを思わずぶつけていたのですが・・・「知らない・・・」でした。
まぁその人は熊取町出身ですので淀川の西岸にあるこの地名、駅(阪急3路線の駅)からは相当離れていますから無理もないかも知れませんね。
唄のタイトルにもあったその地「十三」(じゅうそう)には緊急事態宣言下の4月、大阪市長が肝入りでコロナ専門病院(中等症病
床専門)として指定した大阪市立十三市民病院がありましたね。
それ以来病院の医師、看護師の怒涛の苦難があったようですがこの病院一つとっても大阪の医療崩壊間近?といった現状がわかります。
大阪府の医療センターでは手が負えない理由からガン患者専用病棟を閉鎖するとのことですし、こちらの市民病院では現状90床の中等症病床を確保したものの人員不足から60床の稼働でいっぱいいっぱいと。
こちらの病院では4月から非正規含め「医師10人、看護職員22名が離職」の現実。
要は現場の医療従事者の「やってられない」の声なのでしょうね。どうしてその声が聞こえないのでしょう。
いやそれは聞こえているはず、ただひたすら黙殺しているのでしょう。
自分が看護師だったとして、休みなしの勤続労働200日、給料カットで我武者羅お国のためと働いていても、国の方ではそんなことはお構いなしに「Go To ~Go To ~」と煽りまくり。
先の見えない患者大挙の無限看護地獄。
その病院に勤めているだけで差別の目で見られて子供たちも疲労困憊。「ケツを捲る」というのも仕方ない事でしょう。
いよいよ大阪から医療崩壊が始まっている感です。
ここへ来てどちらでも増床、増床と旗振り大騒ぎになっていますがそう簡単にいくとは思えません。
よって本来あるべき「Go To ~」とは医療従事者のために「コ
ロナが克服できたら思う存分羽を伸ばしてください」でなくてはね。
医療従事者がいなくなったら、いったい誰が病気を診てくれるというのでしょう?
経済などよりもずっと医療が大切と思うのですが。見捨てられ
るのは重篤患者から・・・が崩壊の末期です。そんな状況まで見させられるのでしょうか。
これでは政治屋のみなさんもイザという時に駆け込みができなくなりますよ。
さて、ここのところ設楽原周辺についてテキトーに記していますがとりあえず画像のありったけを少しづつアップしていこうと思います。
昨日の史料館付近から再び激戦の連吾川に下ります。
ここは丸山砦から200~300m、新東名高速の橋脚の南側手前にその標は立っています(場所はこちら)。
「名高田前激戦地」で、馬場を筆頭に武田勢右翼VS連合軍左翼織田勢による激戦地。
激戦地と各記してはいるもののこの一帯すべて死闘が繰り広げられていますから・・・特にここの北側は南側に比べて段丘が迫った閉塞地であるため混戦に拍車がかかる場所ですね。
私はこの地に立ついろはかるたの中でこの文言が一番に好みです。
「老将の言 勝頼は 封じたり」。
ここでの老将を一人あげれば馬場信春が思い浮かびます。
②③方向の先に例の馬防柵、③の右側が丸山砦がありますが④北側、新東名橋脚の先200m程度が柵の北限、連吾川はこの辺りで本流は西に折れ、川を越して馬防柵がそこまで連なっていたよう。
昨日と同様「そういうの よしなよ!」と言われつつ「オヤジ殿を超す」「オレが一番」と「自分を信じて~」の典型的失敗例。
御注進が聞こえない、聞かない・・・その手のぼんぼんのお坊ちゃまの姿・・・どうも目につきますね。
私も忠告は受け続けてきましたのでよくわかります。ただそれを耳にして修正できるかどうか・・・
②③の丘が勝頼の才ノ神本陣。
馬場はこちらの勝頼に負け戦に付き退去を促し、橋詰殿戦地の 藤生道で勝頼が豊川を渡ったところを見送って覚悟を決めたというのが言い伝え。
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