「大松小松信玄塚の供養塔」見るも無残 設楽原 

「56歳 栄養失調による衰弱死」・・・ショッキングな件。

昨晩の「ひきこもり死」(NHK)を視聴しました。

中高年の「ひきこもり」の人が100万人いるというこの社会。

新コロ蔓延の恐怖もありますが、その数字はまさに生きながらの地獄の恐怖。

きっかけは病気、失業から兄弟縁者との疎遠、親の死など様々ですが、これは個々の病ではなく社会の病苦と言っても過言ではないような気がします。

 

特にひきこもれば生活資金枯渇となりることは必定。

親の年金で食を繋ぐことになりますが親が死して「そこで終了・・・」という図式がありますね。

 

各自治体レベルでは支援の手を伸ばしていこうという動きは見られていますがその支援の方法を模索しているようです。

それは「ひきこもり」の方がそれを「関わりたくない」と拒絶するからですね。その71.7%の人たちのがそうだといいます。

鍵を掛けられている家を押し破るワケにはいかないでしょうから。結局は対人と「聞くこと」をも拒んで「餓死」という最悪の事態になってしまうのでした。

 

行政の手出しができるはずの各資金的「制度」の限界を知りましたが結局は適性な援助というものが受けられない人達。

しかしまぁその問題に現場で関わっている皆さんの苦労をも知らされました。

人を「孤立」させない何か国の方で抜本的思案が欲しいところです。

 

この社会にはまだまだ優しさが足りないのですが、現場の人達だけが苦労する仕組みは何とかしていかないと・・・

「ひきこもり」を個別事案、自業自得・・・と思っていたとしたらとんだしっぺ返しが来るのでは・・・

私の明日、息子の明日・・・「朝(あした)には紅顔あって、夕には白骨」(御文5-16)の如くです。「病」の無常も避けられない身ですからね。

 

モノが溢れかえり何一つ足りないものがないと報謝を感じないようになった社会ですがそれは幻影だったのかも知れません。

「消費社会 贅沢三昧」の「三昧」の仏教語の意「墓場」「火葬場」が思い出されます。

 

さて、本日も設楽原。

設楽原の歴史資料館への来訪は御無沙汰で2年振りでした。

設楽原戦跡観光の双璧(馬防柵と)で長篠城と史料館を合わせて廻るのが一般的推奨コースですね。

昨日の通り、お二方をこちらにお連れしたのですが、折角だからと「信玄塚」と呼ばれる大小の塚と墓碑のある場所に。

史料館を出てものの50mも行けばまずその円墳状の大塚に当たります。

 

行ってびっくり仰天、空しさをも感じました。

こちらには「設楽原古戦場いろはかるた」と称して各戦跡、墓碑当の前に簡単で分かりやすい言葉が連ねられていますが、表記の

「大松小松信玄塚の供養塔」はこちらにあったはずのもの。

その日は「どこに目を付けているんだ」と怒られるかも知れませんが見当たりませんでした。

 

要はこちらには大小の塚が対面してあってそれぞれのトップにはかつては青々とした松がその存在感を顕わにしていました。

①~⑨が2018年の夏ごろの図で⑩~⑬が一昨日のそちらの様子です。

酷いあり様で呆れましたがよりによってよあの両墳墓の松がま

っ茶っ茶の枯れっ葉に成り果てていました。

見苦しいことこの上ないことですが、早々に伐採しないとどんどん周囲に感染してしまいますよ。

 

新城市の対策などもお伺いしたいものですが新しい松を植えるなどの手配はどうなっているの・・・など余計な事まで考えてしまいました。

まぁ当地に限って大丈夫だろう・・・の油断があったのかもしれませんが名所の松は消毒等のメンテが不可欠ですね。

もしそうだとしたら不作為の咎か・・・。

実にみっともない姿でした。

拙寺境内の杉が立ち枯れするのとは大違いですから。

 

20年近くご無沙汰している富士の樹海ではミズナラの巨木の枯れ死が問題になっていますね。

私はそちらで一番デカいといわれる巨木のドングリを拾ってきて境内に植えていますが今あるそれは2代目のもの。

やはりドングリから芽を出しました。

 

あの木は松同様に虫の餌食となってしまいますから人の手で守ってあげなくてはなりません。

まぁこの地は温かすぎるという彼らにとって不都合な環境であるのかも知れません。