三連休の初日。
夜はBSで寅さんそしてストーンズ。いつものテレビ小僧でした。
ストーンズはキューバでのライブ映像でしたが、73歳(現在77歳)のミックジャガーその他メンバーのステージ縦横無尽のパワフルさを再び見て私の最近の泣き言(齢のせい・・・)など甘っちょろい甘っちょろい・・・
キューバの公演でしたがどちらかで「オバマが前座だ」という言葉がありました。2016年に大統領はハバナに降り立っていましたね。その次の大統領のキューバに対する評価はガラッとかわっていましたから極端さは両極。
いがみあいではなく音楽での交流は政治を超えて素晴らしいものがあります。
キューバの人達のノリも凄いものがありました。
「Gimme Shelter」は私もお気に入りの曲ですが、キューバであの歌詞ですからね。面白い。
日本人のプロデューサーだったら「それってまずいかも・・・」など変な配慮があるかも知れませんね。
昨日前夜は風が強めに吹いて、いよいよ真冬の到来か・・・などと思いましたが夜が明ければその風はピタリとやんで、青い空が広がり最近ならではの温かさとなりました。朝方はグッと気温は下がりましたが・・・
よって本堂の法要はストーブの出番はなし。
墓参の際「故人はさすが晴れ男」と奥さんが「おかげさま」を喜んでいました。
「じいじ」との声が孫たちの口から聞こえてきましたが十三回忌ということで当たり前ではありますが「じいじ見たことないよねぇ・・・」とつい奥さんに聞いてしまいました。
幼子の手を合わせる姿はいつ見てもいいものです。
故人の娘さんの一人は浦安から。
深夜のご主人の自家用車での行脚だったとのことですが東名の工事もあって結構な渋滞があったとのこと。
そういえば昨日朝からどちらの行楽地へ向かう道路も混雑している様子でした。
昨日は東京(539人)も全国も感染者数の最多を更新していました。東京の数字の6割が感染経路不明ということですからいわゆる「会食」に限ったことではないということがわかりますが、
息子には「外食時配慮急度可申付事」と掟・戒律風のメールを打っておきました。
ソーリ殿のアピールする「マスクしながら食事する」(その逆も)などあり得ないくらいアホらしいことでナンセンス。また無理な話。
「外食するな」といっても彼も若者も「行く」とは思いますが少しは頻度を落としてくれるだろうと思い親の気持ちを伝えたのでした。
「急度」は「きっと」で現在巷で使用する推測・思い込んで・・・といっった意味ではなく「厳しく・絶対に」の意味ですね。
まぁその語をただ使いたかっただけのこと。
叔父が言うにはこの「急度可~」のあとにはしっかり記されて
いることもありますが「成敗」の語が隠れているとのこと。
要は「必ず成敗(御咎めを受ける)される」ということですが、それはやはりそのお達しに違えたその度合いによって違うのでしょうが、最悪クビは飛ぶことになるのでしょうね。
さて、そんな「急度」の件、叔父と話したのは史蹟研究会の小澤会長から「例のアレ」、先だって発見されたと新聞紙上を賑わした細川忠興が駿府城普請に駿河に派遣した家臣団の代表4名に出した13か条の掟文の解読の件を吉祥寺の叔父に依頼して欲しいと頼まれたからですが、あっという間に解読が終わってその文を眺めながら話したのでした。
当所は小澤氏に頂いた資料は判読が難しいということで高明細のものをあらためて吉祥寺に直送して対応してもらっていました。
私はそれを手にしていませんのでネット上の新聞社のものから拝借しました。よって見合わせることができませんがまぁ感じだけでもということで。
上記「急度」の字は2度記されています
す。一つは「成敗」付きでしたね。
一番に目に留まったところは13条のうち11条と12条そして4名のお名前のうち完甘氏。これは名前の字面の変遷というものが見られ
る面白いところだと叔父が指摘していました。
「完甘太郎兵衛」なる藩の駿府城普請事業を取仕切る4名のうちの一人ですがその読みは「完甘」で「シシカイ」。
以前都内に居たとき「甘太郎」という居酒屋に連れていかれたことがありましたので「完」を苗字に太郎兵衛と続けて読んでついそれを連想してしまいました。
この「完甘」をシシカイと読むのは無理矢理なのですが、元の字といえば「完が宍」で「甘が貝」。よって「宍貝」が元でしょう。 それなら「シシカイ」は読めますね。
叔父が言うにはその宍と完、貝と甘は崩し字にするとまったく同じであって、おそらく宍より完、貝より甘の方がカッコイイということでだんだんとそのように変わっていったのだろうと。
よってその変化の途中なのか「宍と甘」でシシカイなどの苗字がありました。
それでは最後の2条と宛名と年号の部分を。
12 他所之湯風呂へ入事堅令停止事
13 すまう取事又万事見物御普請中令停止候
若相背者立候は可為成敗事
慶長十三年正月八日 越中守花押
牧左馬丞殿 完甘太郎兵衛殿
小谷又右衛門殿 高田九郎右衛門殿
招かれたとしても他人様他家の風呂に入ることそして相撲をとることとそれを見物すること。
ここでの「令和」の「令」は「せしめ」です。
昨日は「お調子にのった生活」をしている自身記しましたが
要は「緩み」があってはならない、この普請中に関しては緊張感を維持せよという忠興の気持ちが伝わってきます。
家臣が何かやらかせば家を潰されあるいは腹を切ることにまでになり得る時代ですのでピリピリするところが伝わってきます。
まぁ「他家の風呂」といえば源頼朝の父義朝が野間で、太田道灌が伊勢原で暗殺されていますので、武家の棟梁とすれば風呂ほど気が緩み、他者に狙われる場所ということを心中思って、家臣にも「努々油断あるべからず」ということを伝えたかったのでしょう。
風呂にまで浸かっていくというシチュエーションは何らかの接待などもつきものでしょうし。やはり相撲は見物含め油断の最たるものとの判断があったことと。一言で言えば「遊興」。
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