新コロの感染者はいったいどのあたりにピークを打つのでしょう。8月の猛暑期の勢いから鎮静に向かうのか・・・という思いは国による背中を押されるようなゆるゆる緩和施策によって醸し出されていましたがいよいよそれが錯覚であったことを思い知ることになりそうです。「Go To」いろいろ、大分お調子にのったその結果でしょうね。
一時はしきりに「コロナ後」などという語を聞きましたが只今感染真っ盛りの状況でまさに終わりの兆しが見えません。
単純に夏の猛暑はエアコン空調に快適を求めた挙句の「密」であると考えれば冬季のやはり暖い空間を設けて快適を求める時節となればその夏の最多感染者数の上を行く感染への脆弱な状況を作り出すことは間違いないところ。
湿度低下の乾期は人の免疫力を下げかつウィルスの感染力を強めるというダブルのネガティブ要因、どう考えても分が悪すぎます。
「北海道のGo Toどうする?」の件、人々のセンスではそのキャンセルの多さから「ムリ」の判定を出していますが、お国の方ではあいかわらずの経済重視とやら。
旅行業はじめ飲食等の大打撃の件承知していますが、それのみ業種の尻腰を支える施策には疑問を禁じえませんね。
その業界をバックにする有力議員さんの存在(族議員)もあるといいますので、強力に推進したいということはわかりますが、他の関係のない人たちの健康や命を賭してやることではないような気がしてなりませんね。
そして一度決めた事に関して、難題が生じたとしてもなかなかやめられないという機動性の無さも何事も昔から変わりません。
新コロの勢いはいよいよ復活。
昨日の段階で東京393名、神奈川では過去最多147名。
全国で1643人は過去最多でした。
そんな折、息子は横浜のお寺から都内に出張し初めて一人だけで葬儀式を執り行ったと。
そしてこれも初めて故人の法名を命名したと連絡してきました。
「おいおい大丈夫かよ」とは思いましたがコレも親バカ、「スゴイ」と。
何故なら私が彼と同じ24歳の頃といえば「チンピラ風情のチャラ男」(奥方)と。その頃の私を知らなかったクセに・・・
私は興味本位でその法名について聞きましたが、なかなかの名乗りでここは「天晴れのはたらきである」と誉めました。
彼の若い頃は時間があれば法事に付き合わせていましたが、その成果が出たということかも知れません。
新コロに罹らないよううまいこと立ち回って欲しいものです。
そこで一つの考え方の違いについて記させていただきます。
私は上記の如く彼の小学校時代から通常の法要から通夜・葬儀、火葬場勤行まで連れまわしていましたが彼が独り立ちできそうなレベルまでに達したと思わされるのはお世話になっているお寺の姿勢がまず挙げられます。
おそらくお寺の責任やプライドよりも「人を育てる」ところに重点を置いて「恥をかいて強くなれ」とばかりに彼を人前に放り出してくれているのでしょう。
おかげさまなことですがそれに対応できたのも小さいころから法要に連れ廻されたという経験の積み重ねもじわじわと効いてきたはずです。
ところがその住職の子供とはいえ「僧籍かない」(教師資格ナシ)<モグリ>を果たして法要の「脇」として立たせていいのかという理由からそれについて訝しい顔をするお寺もあるようです。
モグリと言っちゃあモグリですがしかしながら次代住職となる筆頭の者。その実践経験をさせて何が悪いという強引な意見を通したのが私です。
出仕に関しては事前に「息子に勉強させて欲しい」、御法礼については「お構いなし」と告げています。
息子の同年代の寺の後継者でイキナリ法要に出されて委縮して逃げ出した例、他にも宗旨が違えど儀式進行と人さまの目に耐えられず精神を病んでしまった例があります。
法要というものに慣れ切って嘗められては困りものですが子供の頃に法要の重みによる緊張やプレッシャーをインフルエンザの予防接種の如く注射、引き回して経験させた甲斐があったというものです。
怒られたことはただの一回、彼の部活終わって連れ出した通夜で居眠りしたことがバレたこと。私は苦笑していましたが。
まず大抵の檀家さんは喜んでくれていました。
どなたも彼がノーライセンスであることくらい承知の上ですし。
これも檀家さんに育てられているという意識が彼に芽生えてくるでしょうね。
先般の報恩講での彼の短いながらの挨拶からもそれが感じられました。
最近は彼を誉める言葉ばかり、家庭内であってもお調子にのると何事もしっぺ返しがありますからね。慎みましょう。
さて昨日は母方菩提寺の本願寺派のお寺、高円寺にお参りに行った件記しましたが以前も記した通りこちらは小田原城丘陵下の西側外郭の境界線にあたります。
墓参りと城址と居神神社の鎌倉期の石仏を纏めて楽しめる場所でもありますが、その日もあの石塔たちに会いに行きました。
③が墓碑前から見上げた土塁上の居神神社の杜。この辺りに社殿があってそま脇、土塁下に石仏が並べられています。
⑦がそちらから見た光円寺。
驚いたことは石碑が一つ増えていたこと。
それも崩壊しているもの。
稲荷と見えますのでどちらかから持ち込まれ(こっそりと?)たものでしょう。慌てて置いたから割れたのか・・・
処分しきれず、思いついた場所に置き去りにされるものは各見受けられます・・・。流行りのペットを捨てる人の如く。
最後の画像が前回撮影されたもの。
小田原市のご担当もこういった煩わしい件、知らないふりをした方が無難かもしれませんね。
勝手に私がそう思った次第ですが。
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小山昭治 (金曜日, 13 11月 2020 08:53)
僧籍がある、無いなんて檀家にはさほどのことではありません。
昔の聖と同じで亡くなった方を気遣い、お経をあげてくれればそれで結構。
そのことだけが願いです。
順調に成長されていてなお、結構。
教育方針が間違っていないということですね。これも結構。
今井一光 (金曜日, 13 11月 2020 19:15)
ありがとうございます。
教育方針というほどの大層な気概は持ち合わせていませんが
すべてのことにに感謝したいものです。
まだまだ波乱も控えていることと思いますが
私の往生の間際、ニッコリ・・・できれば尚有難い。