相良地区の火葬場の女性職員が退職されたことは寂しいことです。丁寧な仕事で女性ならではの気配りがあって私の勝手な思いですが勿体ない限りです。
あの世界には女性の差配こそあって然るべきと思いますし、この相良のケースは全国的にも珍しい事だった(私の知る限り)かも知れません。
それだけ時間の制約もあってかつ重労働だったということでしょうね。
施設の休館日といえば古い考えというかバカバカしいあの「友引」の日と決まっていますので、普通に土日祭日や夏休み冬休みの如く休日の予定というものがまったく立てることができませんでしたから。
その方の代わりに新しい方が2名入りましたが現状、試雇採用なのかもしれません。なかなかあの仕事には慣れや適正というものがあって長続きしない場合も多々ありますからね。
民間に委託したのですからいっそのことその「友引休館」をやめて休館ナシとしスタッフの人数を厚くするなどシフト制にしてくれればいいのですがね。
それこそが市民サービスというものですよ。
現状その「友引」の為に葬儀日程の選択が狭く時に集中が起こって早朝出棺やら午後までズレることなどよくあること。
1番の午前8時15分受付などを選んだとしたらまずは7時45分から8時の出立となりますので読経含めた集合時間は7時から6時代後半になりますね。
これから冬場となればその時間は辛いですよ・・・
さて昨日ブログでは木喰養阿の狸谷山不動尊について記しましたが、標識に「六墓五三昧念佛行」とありました。
養阿上人は冬の寒い日、寒い時間帯に限ってそれを行ったといいますのでやはり私の言っていることなどは泣き言のようなものでしょうね。
その「六墓五三昧」について。
「三昧」のあとに続く「念仏」に目が行くと「念仏三昧」・・・をも連想しますがこちらではその意とは少々離れます。
「三昧」~ざんまい さんまい~の語を今風に使用例を記せば「カラオケ三昧」「うまいもの三昧」「読書三昧」「道楽三昧」「贅沢三昧」等々「〇〇三昧」の語は良く耳にします。
まぁ往々に「お調子にのってる感」満載の語ですね。
上記「念仏三昧」といえばその「三昧」の語源に近いものがありますが、そもそもその「三昧」とは意味は色々ですが元はと言えば仏教語ですね。
今風に言えば「メディテーション」の意から「集中」となって一つの事に没頭する意として使われるようになったのでしょうが、こちら「六墓五三昧」の「三昧」とは火葬場の事。
要は六ケ所の墓地と五カ所の火葬場を念仏して廻るということですね。
良く言う「〇〇三昧」とお調子者をイメージする語が溢れていますが、なるほどその「〇〇」=「火葬場」(生身が行きつくところ)と思えば合点が行きましょう。
その三昧、使用するとすれば「念仏三昧」・・・「念仏メディテーション」オンリーですね。最近の葬儀式ではそれについてさらっと触れるようにしています。
また、念仏三昧というと「念仏三昧院光明寺」がありましたがそちらも本来は法然さんの荼毘所でした。
当流の経典、嘆仏偈にも「三昧智慧」や「如是三昧 智慧為上」と「智慧」の語とセットで出てきます。
浄土系の宗旨から荼毘という火葬風習がこれまでの野山に置くだけの風葬から変異を遂げますが火葬ものべつ幕無しにそこかしこで行われていたようです。
やはり環境問題(当然に異臭)から特定の場所に限られていった歴史があります。
まずそれらは処刑場とセットにあるもので、被葬者について平等に仏として手を合わしたいという気持ちが養阿の気持ちだったのでしょう。
画像は南山城、西小墓地。
埋め墓に詣り墓(埋め仏に詣り仏)・・・両墓制の痕跡が見られる墓地でした。
墓場巡りといえばこの西小墓地を思い出します。
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