新コロのせいで演劇場・映画館もとより小型の密閉室内で人が大勢に集まる場所などに行ってみようなどという気がまったくおこらなくなってしまいました。そもそも公演・公開中止がまたぞろの世でしたからね。
そういった興行に関わる多様な人たちの生活に関わることで応援はしたいもののリスクというものを許容することはできませんね。
「Go To~」華やかな時流となっていますが困り切っている人たちは何もその限られた旅行関係社に限ったことではありませんからね。
許容できないのは何より私自身が苦しい思いをしたくないからですが先日も拙ブログにても記しましたよう「空気感染もありうる」説を信じればそれは当たり前のこと。
私はその件「大いにある」と踏んでいますし。
最近は再びコロナ重篤患者が上昇傾向といいますから気を緩めるなどあり得ません。
お国の経済活動維持の方向舵取りから緩和ムード、イケイケの風潮になっていますが私は「その手は桑名~」、「踊る阿呆」になるわけには行かないのです。
まだまだ映画のロードショーなど禁忌のような。
そんな中、コロナによって延期されていた映画の公開日が昨日決まったという報がありました。
司馬遼太郎の長岡藩家老の河井継之助を描いた「峠」が映画化されたものでタイトルは『峠 最後のサムライ』です。
2012年の6月18日ということですがそれまでに終息していることを願います。本来ならば今年の9月末の公開予定でしたから座念なことでした。
観劇によってこのコロナで抑圧されてきた日常と佐幕派の鬱憤をあのガトリング銃で晴らしてもらおうという算段です。
最期に空しさに襲われるのでしょうが、それはそれ。
役所広司も好きな俳優ですし。
さて、昨日の野崎観音(慈眼寺)の上の九重塔のある台地先端部分は城址の郭部分でこの城が野崎城です(場所はこちら)。
この城は標高114mとそれほどの比高はなく山城としての醍醐味というものには欠けるのですが何といってもその背後にある飯盛山城とセットというか飯盛山城に向かう登城路の殆どスタート地点にありますので何となく立ち寄れる城址です。
日本城郭大系「野崎城」を転記すれば
「野崎城は河内守護畠山氏の内紛の際、畠山義豊が尚順を野崎城に攻めたということが記載されているのみであるが、城跡は野崎観音慈眼寺東北の裏山一帯にかけて数段の削平地を残している。本郭は飯盛山支脈と10m以上の堀切をもって築かれ標高114.4mの山頂にある本郭の西と北に出郭をもち、山稜線傾斜に三段にわたり四つの郭を設けている。
野崎の地は東高野街道を経て、北河内から中河内方面に入る場合西に深野池が入り込み東は飯盛山の支脈が突き出ていて、最も狭いのがこの野崎で戦略上の要地であった。
のちに飯盛山城の出城となったと推察されるがこれも野崎から桜池へ出る飯盛山城の推定大手道が谷間に入っていく右手に当城が位置しているためである。」
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