昨晩、寝床に入ってスグ、火事の報せ。
ただしちょっとしたサイレンだけで何となく緊迫感というものを感じませんでした。
いつも通り街区のスピーカーからは出火場所について放送していましたので奥方に「何処だって?」と聞けば「よく聞こえなかった・・・」でしたのでそのまま就寝。
そもそも拙寺には屋内に情報を知らせる機材はありませんので「よくわからない」は毎度のこと。
外の電柱に据え付けられたスピーカーが言っていることを聞くには2階に上がって窓を開けるなど積極的に聞きに行かなくてはなりません。
スピーカーは火事の件の情報もありますが、大概は「大したことないだろう」のまさに狼少年状態。
漫然としていることが危機への感覚を遅らせて致命的な結末を迎えることをわかっていながらこのザマは反省モノでした。
これは良い教訓となりましたのでスピーカーが何か言い出したらまず聞きに行くことが肝心。それを聞いて安心すればそれでヨシ。
おそらくあの時、スグに2階に上がって窓を開けたとしたら大いにたまげたでしょうね。のんびり就寝した私どもがそれを知ったのはテレビのニュース。
拙寺から北に数百mしか離れていないお宅が全焼しそちらに住まうお二人の命が失われたといいます。合掌。
午前10時前にはお昼のニュース用の素材だったのでしょう上空をヘリコプターが飛び回っていました。そして各局お昼のニュースではその悲報が伝えられていました。
この火災で隣接する家屋への延焼があったそうですが、それでも当時風が殆ど吹いていなかったことは町にとっては幸いだったかも知れません。
あの位置で北西から北よりの強風が吹いていたとしたら(冬季でしたらいつもビュービュー)もっともっと酷いことになっていたのかも知れません。
アレだけの近距離で消防車のサイレンが大きく聞こえなかったことはチョイ不思議でしたが、奥方と揃って平気の平左衛門の高枕は反省しなくてはなりません。
徒労とあってもサイレンが鳴ったら飛び起きる・・・これこそ身を守る基本でした。
そして境内外周の高木を「伐るな」のメッセージにも聞こえてきました。私は最近は伐採剪定の件サボっていましたが高木で囲うことは堂宇を守護する意味があってご先祖様がそれを伝えたということを思い直したところです。
しかしあの通りの火災は多いような・・・そして火災は往々にして続くことがあります・・・注意していきましょう。
さて、先日の野崎参りの件。
息子の大阪出身の友人は「知らない」とのこと。
「大阪は広い」ということとその者の若さもあるでしょうね。
一昔前で言えば(父母祖父母の時代)全国的にもその名「野崎参り」は流布していて特に浄瑠璃・歌舞伎・歌謡といった題材にありました。
元はと言えば「お染・久松」の心中事件がそれですがそれを脚色した各演劇が場所やシチュエーション、登場人物を変えて演じられていましたね。
そのお話の舞台として登場するのが「野崎参り」でした。
まぁ昔から「お参りに行く」は無礼講、憚りなしの言い草ですからね。それを何かの口実にすることはよくあることでした。
今でも時に私は「本山にお参り」を口実に京都で羽を伸ばていますし・・・。
「観音さまを かこつけて 逢いに北やら南やら
お染は思い久松の あとを慕うて 野崎村」
画像は野崎観音の中興、江口の君堂。
女性を守る観音様・・・そして由来です。
またお染・久松の塚があります。
コメントをお書きください
小山昭治 (木曜日, 15 10月 2020 08:58)
同報無線受信機つきラジオを配布したことがあります。
もちろん 1戸1台無料。
その時に役所へ受け取りに行かなかったのでしょうか。
まだ 無料で受け取ることができるかもしれません。
確認した方がいいでしょう。
当家は、自宅と店舗、工場にそれぞれ置いてあります。
今井一光 (木曜日, 15 10月 2020 18:52)
ありがとうございます。
壊れていて音の出ない「弁当箱」みたいなものがあると奥方がいうのでそれを持って
早速役場に行きました。
在庫が無く修理品が月末に届くとのことでした。
新しいものはなさそうです。