東海・関東方向に進路をとる台風の前哨というのか当地は一日中小雨とつよめの風混じる悪天。
拙寺オンボロの庫裏は一日中ゴーゴー、ガタガタと鳴っていました。
隙間風も体感温度を下げ、一気に晩秋から冬になったような感じがします。
神奈川に住む義母は思わず電気ストーブをひきづり出したといいますから箱根の向こう側は相当冷えたのでしょう。
つい先だってに40℃超えの数字を見せつけられていただけにこの変化ときたら「ついていけない」のレベル。
居間にも本堂にも扇風機が未だ転がっている始末。
早いところ片付けて灯油とストーブ、そして火鉢の用意をしなくてはイケませんね。
火鉢といえば、コレ。
ある檀家さんが若い頃に祭りで酔っ払って喧嘩になり、怪我をさせたお相手が医院に駆け込んだ後をさらに追いかけて待合室の火鉢を持ち上げて「ぶっ殺してやる」と叫んだところ医師が逃げだした(それを制止したまた別の檀家さんがそのあとの治療をしたといいます)、という武勇伝を誇った方がいます。
先日久々にお会いしたところ闘病中のご様子、相当に弱っていました。他にも酒にまつわる色々を聞いていましたがもはやその若き頃のハチャメチャさは微塵もありません。
ここ相良には血の気の多い人他にもたくさんいらっしゃいますね。
まぁ酒というものがその人の性質を変えてしまっていたのでしょうが、素面のその方といえばいつも温和な笑みを浮かべ、まったくその手の気配はないのです。
奥さんは「病気はその酒が原因」とあっけらかんとしていますが、強かった人が弱気になる姿を見るのはことに寂しいものです。
私がこの寺に入って来年で15年目となりますが、当初からすれば「一昔と半分」、私自身含めてたくさんの変化の連続を見て聞いて体感しています。
よく世間様では「変わろう・・・、変わらなくては・・・」なる語を聞きますが私はその変化・・・無常ほど怖くて切ないものはないと感じていますが。
最大の無常はやはり「加齢」でしょう・・・。
まぁ誰も逃れることはできないことですがね。
さて、唐突ですが岐阜市内へ。
今週の大河ドラマでは元服した「足利義昭」が一乗谷を離れて明智光秀とともに美濃に入りますね。
こちらは立政寺(りゅうしょうじ)なる浄土宗(西山寺派)のお寺(場所はこちら)。
寺号は一見「日蓮宗?」かと思わせましたが「まつりごとを立脚する」の字面は庶民にとってその偽りなき「真摯」を思います。ただしあくどい輩に限ってその「真摯に~」を使用しがち、
気を付けましょう。
まぁキレイな言葉には「裏」というものがある、をついつい感じてしまうひねくれ者です。
浄土宗ということで勿論ご本尊は阿弥陀さんですね。
かつての震災(1891年揖斐川下流震源M8.0 濃尾地震)によって本堂その他開基の智通上人(智通光居)の墓も倒壊しているといいます。それと同じものが来れば名古屋中心に壊滅するということでしょうか。
そういった地質の「変化」もまた怖い・・・
現在は本堂前にその宝篋印塔が建っています。
室町初期に当地に訪れ法然上人②の念仏を流布し、人心を得てこちらのお寺が当地におけるその教えの中心地になっていったといいます。
コメントをお書きください