鎌倉景正に加え源九郎判官義経も 御霊神社 

辛辣な自然災害の報ばかりの熊本の皆さんに明るいニュースが飛び込んできましたね。

大相撲の優勝力士は熊本県初といいますがその力士の大関昇進のおまけつき。

私もその人の姿勢と性格に好感を抱いていましたのでこの結果は大いに喜んでいました。世田谷通りはかつての私の行動エリア内でしたので東農大出身というところも親しみ深いものがありました。

 

その昇進伝達式の口上が「至誠一貫」(しせいいっかん)。

「真心をもって誠意を貫き通す」といった孟子の言葉のようですね。

その「至誠」というと私どもでは観無量寿経の「至誠心」<しじ

  ょうしん>と読み方は違いますが同じ字面、宗旨上大切なスタンスがありました。

相撲世界の「武運」を求めるそれとは違いますがそれはそれでヨシ。 

 

仏語としての「真の心」と目標は違えど「心」のありかたとしてベストな言葉と思いました。

まぁどちらかといえばそれこそ政治家みなさんの方向として是非ともそうあって欲しいと思うところ大ですね。

 

「女性はいくらでも嘘をつく」と言い放ったというオバハン政治屋(「オッサン」に対して)の件ですが、ご自身が言ったはずのその言葉について多くの指摘が上がった段階で「言っていない」とウソをつく。 

たくさんの人たちがその件「聞いていた」そうで弁解の余地はないようなのですが、その図々しさはあたかも絵に描いた化け物の感。見苦しい躰でこれまでの奇怪な弁からもただ奇をてらったこと好きの御仁でしょうが。なるほど自身のことをそう言っていた?・・・

お早いところご退場を願います。アレでは有権者がバカなの?と言われてしまいかねません。

言った言わないのその語も殆ど論外の思想、笑っていられませんね。

 

さて、昨日の毘沙門堂の続き。

鎌倉権五郎景正と並立して掲げられた札には源九郎判官義経の

名がありました。

由縁は掲示板の通りですが、この御霊神社は元毘沙門堂という経緯がありましたがそもそも西雲寺にあったもの。

明治以降分離されたのでしょうが西雲寺山門に掲げられた山号を見て、それをあらためて知ることができますね。

 

御霊神社なる名称は各地に見ることができますがそのそ「御霊」に関しては勇猛果敢で人々に人気あるヒーロー的人物が「非業の死」を遂げたりすると祀られ傾向が。

要は最終的な生き残り「勝者」が自身の為とその人を謀殺、見殺しにしたこと、のちに「安心安定安楽」を得た時その件「猛省して祀る」ことはよくあること。

これまでの「安心」が「不安」に変化しつつある時、もしかしてそれは過去の「私の行い」の因果かもしれないという為政者等の不安な気持ちがそれを建てさせるということ。庶民感情がそれを建てる例もあったでしょうが・・・

「祟りは怖い」という心情は大いにわかります。

 

あの政治屋さんも言葉に気を付けないと大いに祟られるかも知れませんね。

あの言葉に「殺された」人たちはたくさん居たと思いますよ。

タダの下衆・・・と、うっちゃっておいてもとは思いましたがどう見ても怪しからん輩、つい私も罵りたくなりました。

男も女もすべて同じなのですがね・・・。