申し訳ないとは思いますが映画館や演劇、スポーツなど私はさらさら行く気がおこりません。
新幹線や飛行機の利用も勿論のこと。
お国の方で「経済が廻らないから頼むよ・・・」みたいなイケイケ感で庶民の心を盛り上げようとするところが見えていますが、病気になったとしたら例の「自己責任」とやらの白い目ですからね。
周囲からは「遊びに出張ったからコロナに罹った」などと後ろ指を指されながら、苦しい思いをさせられることは想像できるところ。
閉鎖空間に密になって時間をすごすことがリスキーといわれる新コロ、それらの場所にのこのこ行くわけにはねぇ。
この齢でその「まさか」の坂を転げ落ちる痛みを味わいたくありませんし、根拠の無い旗振りにのせられて七転八倒するなんて・・・。
よって昨日記しましたよう「家で寅さん」・・・テレビ小僧が一番です。
とはいえ、そういう私は法事とは言いながら首都圏に足を踏み入れてここぞとばかりに好き勝手、思いつきに従って遊び歩いたのでしたが、かつての住処だった小田原(墓参含めて立ち寄る意
識はありましたが) は結局は諦めました。
小田原に寄りたい一番の理由といえば正直なところ墓参よりも駅弁など、かつてそれで育った小田原の味を求めて帰りたかったのでした。
帰途は連休前と工事と事故の渋滞もあって私は一旦厚木インターで降り小田厚、箱根新道、伊豆縦貫、東名と帰路についたのでしたが、どちらにしろそれらおいしいものたちが並ぶ小田原駅近くまで立ち寄るには時間的にすべてが不可能でした。
さて、最近は年に2回は行きたいと思っていた歌舞伎ではありますがそういうわけで当然にそのリスクは取りません。
ついて記しましたが私が昨日の西雲寺に寄ったのはその歌舞伎のお話(「青砥稿花紅彩画」)の五人組の一人、南郷力丸のモデル
といわれる「南湖力丸」の供養塔があるからです。
呉服屋浜松屋の場は弁天小僧とその兄貴分の南郷力丸の独壇場ともいえる痛快愉快な場面ですが特に二人の「自己紹介」口上は耳を澄ませて聞き入ったものです。
その南郷力丸の口上で場面は最後の「稲瀬川の場」のものを面白がってこちらに記します。
「~磯風荒れえ小ゆるぎの磯馴の松の曲がりなり、人となったる浜育ち仁義の道も白川の夜舟に乗り込む舟盗人波にきらめく稲妻の白刃で脅す人殺し背負って立たれぬ罪科はその身に重き虎ガ石悪事千里というからはどうで終めえは木の空と覚悟はかねて鴫立ち沢、然し哀りゃあ身に知らぬ念仏嫌れえな南郷力丸」です。
要は南郷は今でいう湘南の漁師あがりの盗人ということですが、この口上から二点ほど。
まず「こゆるぎ」名称ですが「相州 淘綾(ゆるぎ)郡」というの
がかつての「大磯、小磯」の郡名。
私が小田原に居たときもかなりその「こゆるぎ」名を冠にした色々について目に耳にしていましたが、そもそもその「小田原」名称語源説に古い小田原の地名として「小由留木」があってそれが誤記されたというものがあるくらいです。
よって南郷のその「こゆるぎの」の台詞は小田原生まれの私にはどうしてもイカした台詞として耳に残ります。
そして台詞の最期「念仏嫌れえの南郷力丸」ですがいわゆる「南無阿弥陀仏は嫌い」ということで宗旨違いを連想します。その通り西雲寺の彼の供養塔には「南無妙~」であってその件唸らせられますが、そもそもこのお寺は昨日も記しました通り「南無阿弥陀仏」のお寺(浄土宗)。
この碑塔はずっとその念仏を聞かされているのでした。
ダブルスタンダードの不思議。
あちらの寺の所在地は茅ヶ崎市南湖(なんご)。
南湖→南郷にアレンジされたというわけですね。
最後の画像は私の所望したい東華軒の弁当の一つ「こゆるぎ弁当」(東華軒サイトより拝借)。
私の好みは子供のころからの趣 向を引きづって「鯛めし」と「鳥そぼろ」ですが。
小田原でブラつけば今もその語「こゆるぎ」にぶつかることでしょう。
箱根の峠は濃霧でした。
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