記録にみる流行病 一乗谷小見放城から登城口八幡神社

先日、法要のために川崎方面へ向かいましたが横浜の息子の家に寄りながらの、のんびり往路はまずは茅ヶ崎方面から始めました。

辻堂に住む妹夫婦の家にも寄ろうと思いましたが、時間的に無理があるとそちらは断念しました。

眼をむいて驚いたのが辻堂の駅前。

私の知っているごちゃごちゃ感溢れるその地は今やきれいにビルが立ち並んで一昔前の面影はゼロ。

まぁこの辺りも30年ぶり近くになるのでしょうが。

横浜に住んでいる時も静岡との往来で通過ばかり、立ち寄ることはありませんでしたから。

 

そして通りがかりの遊行寺に寄ったのが先日の宝物館の図でした。

その茅ヶ崎に辿り着く前に懐かしい寒川神社の名が目に飛び込んできて一応は寄ってくか・・・と迷うには迷ったのですがやはり通過していました。

遊行寺の宝物館は休館日で悔しい思いをしましたが、こちら寒川神社文書館でも企画展がありました。

こちらの展示は現場展示でなくインターネット展示になっていますので自宅でゆっくり展示物を拝観できるというわけです。

 

その特別展が「記録にみる流行病(はやりやまい)」です。

1 江戸時代のコレラ

2 寒川神社と感染症

3 御所見寒川組合の避病院

4 衛生組合の設立

5 大正期のスペイン風邪

6 戦後の衛生施策

と興味あるタイトルが並んでいました。

 

寒川文書館特別展「記録にみる流行病(はやりやまい)」(→サイト)。

日本人のみならず人々は何度も同じような苦難を超えて今があるのですね。

 

さて、一乗谷山城を昨日の地蔵摩崖仏から一気に下ります。

途中あきらかに首を飛ばされて代用の頭が載せられているだろう石仏を横目にして、人工の砂防ダムらしき構造物近くの木橋をすぎると、この大手道の前衛の守りの施設でしょう「小見放城」なる郭に。

その下には「小城」なる名の郭が続いて八幡神社に至ります。

この八幡神社からの登城路が「馬出し」(大手)道となります。

朝倉景鏡の屋敷の裏辺りになるでしょうか。

 

これら大手道の郭には武家屋敷が併設されていたことが推測されますが、本郭には天守(天主)と言ったアピールは無いにしろまるで近江の上平寺城や信長の安土城の家臣団屋敷の遺構を想像することができます。

ただし、こちら山城の残存遺構はその城たちと比べてほんの僅かで頭の中で推し量るのみですが。