牧之原市の発症者について、その後クラスターなどの報も今のところ出て来ないようでうまいことコントロールされているのだと思います。
そして下世話な話で申し訳ありませんが、ではどなたが発症して病院で隔離されているかというところは最大興味が行く部分ですね。
この件余計な詮索であって、差別をも生じる個人のプライバシーに関わることで「大きい声」でそれを吹聴することは慎むべきことでありますし、そう簡単に知り得るところにならないはずとは思っていましたが、昨日ひょんなところからその件、噂レベルとの注釈付きでどちらの方か耳にしました。
その方が言うには「相良じゃないよ・・・」でした。
ということは旧榛原町のお二人ということで、自分勝手ではありますが相良は未だゼロということもあり少々安堵した次第。
その方の仕事先は市外の大手工場ということでこちらも相良ではナシ。大変なのは職場関係でしょうが。
尚その情報(噂話)についての正確性については低度、リーク先についても不詳です。
まぁまるっきりの作り話とは言えませんが、友人-会社-病院などなど完璧にシャットアウトできるはずもなく大抵が例の「ここだけの話だよ・・・」で始まるカタチでここまでその件、広がってきたのでしょう。
と記せばまるでホントの様。
まぁ「ここだけの話」にしてください。
早いところご無事で平素の生活に戻られますよう。
さて昨日は大河ドラマ再スタートの件記しました。
「三好長慶」の語連発に続けて感じたこと。
どうやら朝倉義景はマヌケの宰相(大名)という線で描かれることがわかりつつあって越前の皆さんには残念なこととなりました。
そして光秀が越前のボロ屋敷で勉学に励むシーンがありましたね。
そして架空登場の医者の架空の弟子の女子が駿河で教わったという「何にでもよくきく薬」というアイテムがありましたが、どうやらその点と点を結びつけるような気がしています。
勉学と薬です。
いつもの私の勝手な想像ですが、番組が始まる直前頃の「新発見」と大々的に報じられた米田文書についてありました。
それが「光秀は医者だったかも・・・」という投げかけです。
米田文書とは熊本大学付属図書館から出て来た史料ですがもとは熊本藩家老米田家に伝わる文書。
米田貞能という人が書き写した『針薬方』(しんやくほう)という医学書がそれですが光秀が医学書『針薬方』から沼田清長という人にそれを口伝、書き記し後に米田貞能がさらに書き写したと言われています。
『針薬方』には、外傷に腹痛など医師に関わる色々が記されているようですが問題はその歴史背景もそうですが他にそれを補足する史料が皆無であり、あまりにも唐突に出て来た史料でまだまだその信ぴょう性には疑いをもって見ている人も多いようです。
あと一つ何かそれを後押しするような確かな史料の出現を待ちたいところですが、ではその重大史料の発見について大河ドラマの製作方としてどう対応していくかというところも見ものだったわけです。
「何にでもよく効く薬」にあの娘が正露丸の大玉の如き薬を製作しているシーンといいやはり唐突でオチがあるはずですね。
画像はこれも唐突ですが横須賀城の玉石。
立派です。
先日は愛宕下羊羹について記しましたが、横須賀は城下の町割りに旧家風街並みがしっかりと残る場所。
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