本山白書院一の間 「国豊民安」扁額 

外は涼しい風がそよぎ庫裏の中は酷くムシ暑い。

朝のクマゼミラッシュはなくなっています。

我が家では「32℃ルール」があってテーブルの上の温度計がその数値にならなければエアコンをオンにしないことになっていますが何故か昼過ぎまで31.9℃でギリそのスイッチを入れる手前、それでいて強烈な湿気でウンザリ、くらくらさせられるような庫裏でした。

 

天気予報とは違ってお日様が出ていましたので早速冬用毛布を一枚引っ張り出して洗濯。こちらは最初から洗濯機に入りましたのでラクです。

ところが日射しは一昨日と比べて相当緩く、テラスの鋼板は熱々には焼けていずに拍子抜けしました。尚風は超心地よかったです。

今、熱中症になる人はきっと「家の中に居る」ことが原因かと思ったのでした。

 

このテラスの屋上に木製のすのこ状のデッキでも作成し、しっかりした居場所を造れば昼寝には最適でしょう。

まだまだ日焼けはするでしょうが・・・黒くなると叱られます。

 

午後日没前に藤枝方面に向かいましたがその帰り道、初倉辺りを走行中、信号待ちしていると直前のワンボックスが立ち往生していました。走行車線を塞いでいてドライバーがあたふたしながら出てきて「どうぞ どうぞ」とばかりに追い越して行くよう促していました。

奥方の顔を窺うと「関わるな!!」(危ないから)でしたが、そういわれると人間とは逆に動きたくなるもの。自分の車を信号の先に停めてそのワンボックスを交差点の側道に押し込みました。ドライバーは渡りに船と喜んでいましたが、最初は動揺していたためかドライバーが出てこようとしていたので「運転席にいていいよ」と軽口。「ワンボックスってこんなに重たかった?」と思いつつ、まったく動かすことのできない非力にがっかり、脳の血管が切れるほどのバカ力でしたが。

まさかと思って運転席に行くと「P(パーキング)に入れたままでした」と。

ひっくり返りそうになるところでしたが勝手なお世話でもあり「ニュートラにしてね」とお願いして無事退避行動のお手伝いを完了。

車はそもそも不調につき修理工場に向かっている最中だったようです。

 

奥方はその一部始終をミラーで見つつ、後続車に突っ込まれたら・・・などと生命保険の受領金額をシミュレーションしていたそうです。

余計な事をして何かあったらどうしてくれる・・・というのがその趣旨のようですが、「お節介やき」はいつものこと。

私は自分の立場だったらあの場合「有難い」と思うことは間違いないし「きっといいことあるよ」と言えば「それに限っては絶対にナイ」とまで。まぁ期待などしていませんが。

 

見返りを期待しない力を見知らぬ人に貸しだすことはとても清々しい。

 

さて、この新コロ流行のために寺遠足は中止になり、私も大好きな関西方面と本山ブラつきができないイライラが溜まってきましたがかつての画像を捲っていると経典からのよろしき言葉が出てきましたのでそちらを。

真宗本廟東本願寺のウラ、白書院を拝観したときのもの。

 

白書院一の間(当然書院造)の前に掛かる大無量寿経下巻にある語「国富民安」の扁額です。そちらは私が生まれ育った小田原の邸宅で亡くなった閑院宮載仁(ことひと)親王によるもの。

その屋敷のあった高台は今は住宅地と化していますが、私の中学校時代はその尾根を突っ切る道が通学路でした。その人の名がこちらで見られるその理由は知りませんが・・・日清・日露を現役軍人として通した人ですね。

 

その文言は経典から「天下和順 兵戈無用 国冨民安」の流れとなりますが「WikiArc」の現代語訳を記すと・・・

「(仏が歩み行かれるところは)国も町も村もその教えに導かれないところはない。

そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲りあうのである」

 

そのように生かされたいものであります。

 

②は格式高い格天井(ごうてんじょう)「折上小組格天井」なる様式。