拙寺境内の墓石のうち拙寺の御門徒さんではない別のお寺に所属しているお宅があります。
別の寺といっても堀新田の了見寺ですから御門徒さん。
昨日の護良親王関りの寺であり歴史も古く、拙寺が相良にやってくる以前から真宗の教えを伝えて来たお寺です。
よって当初は了見寺の檀家さんであったものの相良に住まいを変えるなどしたことから大澤寺に変更した各家がありますが、その家はそのまま了見寺の檀家として今も続いているといわけです。
これは祖父の代に「墓石のみを移動」することを了承したもので今もそのまま続いているのですが、考えてみれば2つの寺とお付き合いするということもラクではないでしょうね。
墓参が身近でお気軽であることを優先したのでしょう。
まぁそういうこともアリということで。
先般そのお宅の御祖母さんが亡くなって四十九日のご納骨の運びにとなりましたが事前に納骨室を確かめるべくそちらを開けたところ、殆ど満杯状態ということで私に相談に来られました。
私にはどうすることもできませんが私なりの対処法を2、3挙げさせていただきました。
納骨室は一時期流行した大きな骨甕に遺骨を詰め込むタイプでどうしても溜まる一方で、必ずある時溢れかえるものですからいわゆる孫子の代に「その時はよろしく」のメッセージですと。
ご当主の考え方次第、自分の時に「何とかする」という考えならば、①もう一基墓を求める②一旦墓石を取り外し甕を掘り起こして土に接するタイプに変更する(容量を大きくして)③とりあえず今回は上部スペースに綿布に入れて納めゆっくり考える
といったところ。
①も②も殆ど費用的には変わらないでしょうし、拙寺でもよくあるパターン。③はいわゆる「子にまかせる」に通じるところですが、今回は時間がないことから③を選択するほかはありませんでした。
息子さんとよく相談していただくということで。
さて、奈良市内。
奈良市内に散らばる石造遺品の数たるや夥しいものになりますが、寺院に限らず何の気なしに街区を歩いていてもちょっとした出会いがあります。あのときは飛火野を突っ切ってこの通りに出てきましたが春日大社からも近い場所(場所はこちら)。
どちらでもよく見られる新しめの堂内を覗くと線刻の錫杖を持つ地蔵。頭光つき、雲の上に乗って衆生救済の阿弥陀の姿のように見えます。
「法界衆生天文十三年卯月」(1544)と室町期のものではありますが、さすが奈良、街区の祠であっても室町は堅いというところが。この線刻地蔵のスタイルも珍しいものでは・・・
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がつお (木曜日, 20 8月 2020 12:47)
私の家でも骨壺問題があり、住職から今までのを含めて布袋に入れておくよといわれてそうすることにしました。
後日、墓参りをしたときに中を確認すると大きな袋が一つ入ってました。
ある意味で先祖皆一つの場所にということなのでコレもありなのかなと思っています。
今井一光 (木曜日, 20 8月 2020 19:28)
ありがとうございます。
その件、「後からゆっくり」でいいとは思いますが容量のこともあってある時
みなさん「自分の入るところがない・・・」と焦っている姿を見せています。
トコロテン(順番通り自分が次・・・)は一番に仕合せなことなのですが、それはそれで
面倒なことだと思います。