東京が培養して地方にバラ撒く「Go To 感染拡大 キャンペーン」-本日は「拡大」の語を追記させていただきました―は大繁盛のようで首謀者のお歴々からすればさぞかし満足のことでしょう。
東京の472人最多更新など驚かなくなってしまいました。
大阪も沖縄もガッツリの様ですし地方にも着々とコロナ分散の悲痛の声が。
いまのところ安全なのは牧之原市だけか・・・。
横浜の「奥の墓道」氏は、お盆休みの件「帰省は悩みに悩んでいる」とのこと。
私もぶっちゃけ「貴殿との車両同乗は怖いよ・・・」と。
彼とは毎度GWとお盆休みといえば、時間を合わせてどこかしらの城址遺構巡りをしていました。ささやかなお楽しみでした。
それは息子も同様。
彼の場合はおそらくお盆といえば忙しそうで休みは無いかもしれませんが、一貫して我が家では「帰ってくるな」ですからね。
新コロ発信地の首都圏にいて、当地にのこのこ帰って来たとして「なっちゃった」「うつしちゃった」では済まないですからね。もし帰省1週間前に感染していたり、無症状感染者だった場合、一緒にいればコロナだけにイチコロです。
こうやって末端の庶民が我慢を重ねているワケで、ある程度の維持ができていることがわからないのですかね。
そういった小さな努力の積み重ねを国が踏みつけているようにも感じます。
「Joker」のシナトラの曲「That’s Life」ではありませんが 「夢を踏みつけて」の箇所が思い出されますよ。
困っているのは観光業界と飲食店だけではないですよ。
官邸には「見返りは何ですか・・・」というのが単純な思いです。
西部劇のタイトル「For a Few Dollars More」などもついつい思い浮かんでしまいます。また「汚い」の形容詞など特に・・・。
Jリーグでは2週間に1回のPCR検査の態勢が整っていますが、先日はチーム内陽性者が出て試合が中止になっていました。
その検査と検査の間<14日間>に感染があったということになります。まさに頻繁に検査することが不可欠であることがわかります。それこそが安心に繋がって、それを根拠とした活動ができるというものなのですが。
しかし外国のあるプロスポーツリーグでは「毎日検査」と聞きますよ。
身近な例でいえば息子や奥の墓道氏が簡単にPCR検査が受けられて「陰性」が判定されれば大手を振って迎えられるというものです。そして私が感染源で彼らや他者に感染させてしまう恐れもあるのです。お気軽検査ができる海外のシステムが羨ましい。
さて「月刊住職」のマスク特集に私のインタビュー記事を載せていただきましたのでご報告。こちらは電話取材でした。
「私は大丈夫」(とんでもない)の戒めは何に於いても通じるところがありますが、最近云われるようになった「正常性バイアス」。一言でいえばそれですね。
それこそが危機意識の基本です。
人生順風で歩いているように感じるのは錯覚。
偶然とおかげさまによって今日も無事にこの危ない綱渡り人生を継続させていただいているのですが、今はお国の無策と「おバカでとんちんかん」による危機が庶民に迫っています。
記事は短く④⑤⑥は⑥→⑤→④で。
以下昨日の続き。
宝篋印塔の私のその印象のトップは京都為因寺①②。
キリがないくらいその遺物は全国にありますのでその代表格を。
石造美術の分類 「奈良県史7 石造美術」
清水俊明 奈良県史編集委員会
5 宝篋印塔
石造の宝篋印塔という塔形はインド・中国に存在せず、韓国に高麗初期のものがあり、わが国で多く見られる石塔である。
宝篋印塔は本来、宝篋印心呪経を納めたことからその名称が付けられたもので、中国の呉越の王、銭弘俶が顕徳三年(956)にインド
阿育(アショーカ)王の八万四千造塔の故事に倣い、宝篋印塔を八万四千基鋳造して供養回向したのが日本に伝わり、それが祖形となって石造化されて流行したものだといわれている。
八万四千という数字は実数とは思われないが事実、戦後中国の各地から銭弘俶の造立した銅塔(金泥塔と呼ばれる)が出土した。
昭和三十二年、浙江省金華密印寺の地下室から多くの文物とともに十五基の金塗塔が発見され、その塔の底に「呉越王弘俶造宝塔八万四千所永充供養時乙丑歳記」の刻銘があり、ここでは宝塔とあって宝篋印塔とはいっておらず、中国には宝篋印塔の名称はなかったと考えられる。
木造塔の一種で「籾塔」(もみとう)という小塔が宇陀郡室生寺弥勒堂須弥壇下から多量に発見されたことがある(昭和二十八年)。
この塔の底に穴をうがち、そこに宝篋印塔陀羅尼を刷った紙に包んだ籾一粒ずつが納めてあったところから籾塔と呼ばれており鎌倉時代のものと考えられている。
この籾塔は中国の金泥塔より簡略化され石造宝篋印塔の形式手法により近いものとなっており鎌倉時代中期ごろから石造宝篋印塔がわが国で流行していったと考えられる。
宝篋印塔は基礎・塔身・笠・相輪からなり、相輪を除いてその平面が方形で造られている一重の塔である。
基礎側面は素面のものが大和方面に多く、枠取りをして格狭間を設け、蓮華文様などの装飾を施したものも近江をはじめ地方に見られる。
基礎の上に段形または反花座を設け、これに対応させて笠下に二段または請花(蓮弁)を作って塔身を据える装飾とする。塔身には金剛界四方仏の種子を刻んだものが多い。
像容では顕教系四仏を彫り出したものもあり、四方無地のものも数少ないが存在する。
笠下には数段の段形を作り、笠の四隅に突起状の隅飾りを設けるのもこの塔の特色である。
その隅飾りの面に小梵字を刻むこともある。
6 一重塔
基礎・塔身・笠・宝珠の構造で造られるもの、如法経塔という名称で造られる石塔によくこの形式のものがある。
如法経塔の場合、その平面が方形であることが普通となっている。県下には古い遺品は現在のところ見つかっていないが、奈良市田原日笠町付近には江戸時代の如法経塔の一重塔がある。
塔身の一面に「如法経」と刻んでいる場合が多い。
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