日本全国そこいら中泥まみれ、うんざりするほどの降雨と被災情報が各地から報道によって寄せられる中、昨日の私はお弔いに列していました。
葬場ご担当が仰るには「5、6月は冬季並み(80~90件/月)で驚いているが当月も同様・・・」とのこと。
葬場の稼働は「友引」を除きますのでだいたい25日/月。
ということで1日当たり約3.5人。不思議です。
夏期など0~1人などいう日もあってのんびりしているところを見ていましたがちょっとした異変を感じているようです。
交代要員がいない中(現状2名)で回していますがたまたま昨日は一名の日。
どうしても各「時間」を要してしまい、遅延も発生。
担当者は恐縮していましたがこればかりは致し方なし。
私が今特に心配なのはたった二人しかいない担当者が体を壊すなどして運営に支障が出てしまうこと。
先般も募集に応じてお二人が就業希望の方が研修に来られていましたが数日で音信不通になったといいます。私もその研修初日にお会いしていましたが・・・
やはり一般の方がお気楽気分であの仕事をすることはなかなか難しいのかも知れません。
ちょっとした昔は(今も各地で聞きますが)坊さんがその手伝いを引き受けたものですが・・・
さて、昨日は「フロイス日本史」のネゴロシュ(根来衆)の僧兵の記述について記しましたがそちらには彼らが各勢力によって金で雇われ(有利な条件で)戦いに参加するいわゆる「傭兵」集団にもなったことをも記してありました。
私がその傭兵の文字からするイメージは「外人部隊」。
ハリウッド映画の中でもかつて頻繁に描かれていました。
その外人部隊の件、最近やはりオランダの史料で見た「日本人傭兵」を考えるに、秀吉によって弱体化された寺院僧兵たちが次の「戦-いくさ」を求めてオランダ船に載ったのでしょうね。
フォーサイスの「戦争の犬たち」も思い起こしたところですが「坊さん風情で殺しのプロ」というのも凄いシチュエーションです。
話は飛びますが、昨日「エアアジア」というマレーシアの航空会社が経営危険水域に至ったというニュースがありました。
マレーシア(マラッカ)と日本の交易は古いものがあってあの種子島に渡った鉄砲も宣教師フランシスコ・ザビエルの出立地もそちらからでした。
元はポルトガル領でしたが1641年にオランダが(マラッカを)奪取しています。するとそこにも日本人傭兵が数多蠢いていたことも推測されます。
これは映画化できそうな面白い歴史の切り口だと思った次第です。
かの航空会社の疲弊は当然にコロナ禍の影響ですが、マレーシアからの日本における観光客は私が思うに(他国と比べることはイケませんが)どちらかといえば優良であってお迎えするに良き人々でしたが、これでますますその「仕合せ」のご縁は遠くなってしまったような・・・。
勿論今度の日本国内を襲った大災害は各国に配信されていますのでその受け入れ機会を待つ国内業界はかなりキツイことになりましょう。そして夜間「JTBが冬の賞与見送り」を決めたというニュースがありました。
さて、可児から土岐に抜けるにあたっては途中中山道「御嵩(みたけ)宿」にさらっと寄り道しました(場所はこちら)。
今の木曽川、飛騨川の増水と崖崩れのリスク迫る地域なのかも知れませんがそんな気配を感じない普通の街区。
中山道というと「木曽路はすべて山の中」(「夜明け前」)という木曽川の急流と高い山が迫る街道をイメージしますが、この旧宿場町はまったくそのように感じないのんびりとした住宅地が広がっていました。
ここ御嵩は昔掘りまくった炭鉱(亜炭)坑道が陥没することで有名な場所ですね。
毎度思うことですが、日本はどちらも電柱と電線だらけ。
「観光」を掲げるなら(かなり今の状況から意気消沈のことでしょうが)あの見苦しく忌まわしい景色を欧米並みに何とかして欲しいですね。
あの時はお腹を空かす奥方が控えていましたので早々に土岐方面に戻りましたが・・・。
この長雨で心配だらけの各地ですが私は岐阜、先日も記した根尾からの157号線が崩落していないか毎日チェックを入れています。
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