当家夕食のテーブルには二日続けてケバブ(チキンでした)が上がりました。
奥方がコミック(「天(そら)は赤い河のほとり」)を全巻取り寄せるなどから始まったヒッタイト、トルコのマイブームにはまっているからです。テレビを点ければ何故かトルコの番組が映っていてますます頭が「トルコ」になっているよう。
どこからかそれを作るセットを購入してきたようで、私も嫌いではないものですから喜んで食しています。
そもそもタップリ生野菜が突っ込まれているところは悪くないですね。
先日奥方は「ヒッタイトの遺跡を死ぬまでに見に行く」と言い出してトルコ旅行のパンフでも・・・とSC内の旅行会社に。
もっとも私は「そんなとこ、ノー天気に行かねぇよ・・・」と言い放っていますが。
どちらにしろ息子が寺に入って「いよいよ隠居」と時間が有り余るくらいに無ければ無理な話ですが。
今大型ショッピングモールではたくさんのお店が何の制約もなく再開しだしていますがそれにも関わらず、依然まともに店を開けられない店を発見。
それが「旅行」を取り扱う店でした。
国内旅行を扱う店舗は営業日を限定し、国際旅行中心の店は完全休業の状態でした。
「そりゃあそうだ・・・」と奥方が。
先日はインバウンド99.9%ダウンの報がありましたし、国際便を飛ばす海外航空会社の倒産の話も聞こえていましたね。
昨日は東京(新規124人)はじめ首都圏のお祭り騒ぎの様と静岡のおつきあい(5人)を見せつけられました。旅行などする気は失せましょう。
何せ海外とくればU.S.Aの「1日5万人以上新規」のスケールの大きさも圧巻ですが、どこもかしこも惨憺たるコロナ禍のありさまで、「誰が海外旅行なんて行くか!!」の気持ちになるのは当然でしょうね。
一瞬「ヒッタイトの考古遺跡巡り(ハットゥシャの石遺跡)」などと言われて私も「ほぅ・・・」と気持ちを動かされましたが・・・
パンフのトルコ旅行は、市場の食べ歩き観光が主ですが、遺跡やアンカラの博物館ツアー入りは30万円弱で行けると見込んでいました。しかしこの騒ぎで募集も無くなっているようです。
あの辺りはテロも時折ありますし今、航空機に乗ることほどのリスクはないでしょうね。
毎年、「今年こそは」などと思っている沖縄でさえ今は行く気にはなれません。
ということでこの旅行業界はボロボロでしょう。
テナント料もかかることでしょうし、従業員のお給料はどうするの? 単純にそう思います。最低1~2年は不要不急の海外交流(旅行)は絶望でしょう。勿論オリンピックも同様。
これを第二波という人がいますが、おそらくそれは秋冬のことかと私は思います。
このリバンドは一波対応の甘さに尽きるということ。ただのブリ返し・・・となれば政策の失敗でしょう。
さて、可児の長山明智城へ取り付こうとその近くまで辿り着けば道の左に東栄寺がありました。そしてその右側には真宗本願寺派(お西)の光蓮寺がありました。
「元和三年(1617)尾張黒田村(現一宮市)より入植者を連れてこちら瀬田に入った」といいますのでこの地には明智一統逃散のあとしばらく人が居なかったというブランクの歴史があったのかも知れません。
よってこの瀬田地区は江戸期に入った人々と在地の人々が協力しあってここまで築いてきたという歴史があったのかと。
こちらをさらっと歩けば表札に「可児」の二字があるのに気づきます。
可児市ならではというか「可児の可児氏」にはその由緒の深みというものを感じますね。
特に拙ブログでは可児才蔵(こちらまたはこちら)について記している通りですが、こちら可児は可児さん発祥の地ですね。
よって岐阜と愛知で8割以上、可児市には1000件以上の可児さんがいらっしゃるようです。
以外地方では珍しい名ですがこの地では当たり前の名です。
案外と散らばらないものと感心した次第です。
①③④は大河館にて。③④は山崎合戦屏風の写し。
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