明智家菩提寺墓石整列 ただし寛永二年 可児天龍寺

前線通過によって大雨警報まで発令されて、当家庫裏の前年の台風以来、雨漏りの発生に対処するために天井を見上げていました。大雨によって外のウィルスが流れ去ることを想像していました。首都圏も夜間は激しい雨となるようですが、そうなると人の行動を制限することになりますのでほんの少しだけですが「悪くない・・・」とも思いました。

 

先般の全世界をキリスト教徒に・・・」のNHK番組「戦国」にて宣教師たちの策略が見えてきたのですが、これは新発見のイエズス会宣教師たちが本国の教会に送った文書(報告と記録と後発指南)が次々に公開されるようになったからですね。

まだまだ新しい発見は出てくるでしょうからこの領域(スペイン・ポルトガル・ローマのカトリック教会が保存する未公開資料)は要注目です。

 

その宣教師の布教戦略の最終目的が「世界侵略」(スペイン無敵艦隊-フェリペ二世)であったこと、それはうすうすはわかっていたことなのではありますが、その手段、先鋒として人の命や道徳感そして最大安息を流布(「心の支配」)するため(改宗)の宗教行動だったということと、私がその宗教者の端くれとして生かされていることを考えて、他流の、それも今も存在している・・・その教義と布教の「当初の事」に関してとやかく揶揄することなど憚れますしザビエル上陸以来始まった宣教師たちの布教活動に疑問を抱くことなど考えられないことでした。

 

そして、その布教使の中でも、今もその戦国時代において我が国における歴史書のなかで特筆すべき「フロイス日本史」を遺した宣教師ルイス・フロイスの偉業とその存在に畏敬の念を抱いていたことも間違いのないところでした。

まぁ彼の記述の中の端々に私どもの先達、仏教の僧侶に対しての「忌み嫌う」感情がわかる言葉もありましたね。

たとえば「狡猾」なる表現で形容されるところもあって「いったい何があったのだ・・・」と思わせるところ。

 

私がその語句を使用する状況を勘案すると相手はやはり永田町の政治屋くらいしかいませんから。

また序文に日本人の性質について記す部分に面白い部分がありましたので記します。

 

「日本人は一枚のハンカチでただの一度しか鼻をかまない」(欧州ではその件、滑稽で奇異と思うだろう)と記しています。

「彼らは一度ハンカチに唾を吐いたり鼻をかんだりするとそれを洗うことなく捨ててしまう」・・・

 

その説明として「ハンカチの代わりに折りたたんだ薄い紙をたくさん懐に入れて持ち歩いている」「貴人たちはその紙の間に白または青色の亜麻布を一枚携えているがこれは汗を拭くためだけに用いられる」「一般の人はそれに手拭を帯の中に入れ汗をふいたり手や顔を洗ったりするときにそれを用いる」

でした。

 

宣教師たちは「懐紙」についてその驚きについて記していますが、この記述はこっちが仰天するくらいです。

勿論「洗って使う」という用途。

時々目にすることがありますが、ハンカチや手拭で鼻をかんだり唾を吐いたりはしませんね。

今でしたらウィルスを持ち歩いているようで・・・

まぁ当たり前のことですがポルトガル人が日本に来て、その文化風習に違和感を思うのは当然で各所に彼らの「驚き」が見えて来ます。

もっともその日本の戦国というものは日本の歴史上次から次にと言ってもいいくらい色々な事件が起こった時代でした。

日本人でさえ驚かされることばかりの時代でした。

 

さて、昨日記した可児の太元神社の手前には明智一統の墓域があることで有名な天龍寺があります。

そちらの本堂にはビッグサイズの位牌(長存字殿明窓玄智大禅定門)と光秀の木像も・・・

掲示板の通り、開基が江戸初期ということですから、どうい経緯で・・・(もともとは東栄寺)と余計なことを考えてしまいました(場所はこちら)。