まったくもって収束の気配が感じられない「新コロ」ですが、「女墓場放浪記」を断られた東京の病院に勤務する友人が言うには、確かに病院でのコロナ陽性者は日々1~2人で「減るには減った」ただし「病院経営がヤバい」とのこと。
数億円の赤字だといい、賞与昇給ナシ・・・の憂き目となることを予想していました。もしかすると「整理されるか」・・・とも。
病院に付き物のリハビリ課など、敬遠して患者が来なくなったということで大抵はスタッフは「手持ち無沙汰にブラブラ」とのこと。
最近はHISや航空会社の「緊迫状況」が伝えられていますが、本当の所をいえばお国は「病院の存続」というものに焦点を合わせていただかないとね。
二波が来たら・・・「患者は受け付けない」という病院が増えつつあると聞きます。
まぁ経済・・経済・・・と言っていられるうちが花、病院破産で庶民は行くところ無し・・・路上をブラブラということが無いように頼みますよ。
そもそもハナから病院等現場への備品等の確保、後詰に関してまったくナシの様相でしたね。
「やってられない」という状況の中、その働きを口先で誉めたり飛行機を飛ばしたりの件は見聞しましたが「まず医療従事者は絶対に守る」という質を伴うバックアップの気概というものは見ることができませんでしたので。
まだまだこの「コロナ禍」序の口・・・を危惧します。
拙寺では恒例の「春の法要」を中止したあたりから次々と法要の予約はなくなって週末といえば超ド級。持て余すほどの時間をいただいたワケです。
まぁそんなこんなでここまで何とか無事の牧之原市の様には感謝するばかりで。
もっとも最近は相当の緩みは出ていますが、どうやら最近の新規感染者といえば「9割方首都圏」だといいますので、それを聞けば「大丈夫、平気・・・」とますます増長。
足を掬われかねない状況ということはわかりますが、ここは一つ蓮如さんの御文(四帖-九)「疫癘」を思い出しながら次の仏縁「盂蘭盆会法要」は「やる」ことと決めました。
マスク着用の入堂のお願いは当然です。
また参集者の座する間隔のことを考えて全5回に分けて行うこととしました。勿論恒例のイベントもナシです。
今後、報恩講に除夕鐘という行事も控えていますが、収束が見えず、秋冬の大流行などあればまたいろいろ中止になってしまうのでしょうかね。それをあれこれ考えるのが面倒で・・・
さて、蓮如さんといえば御文ですがやはりまた吉崎御坊を思い出します。
拙ブログでも幾度か御坊についても記しています。
その御坊でのその事件について、私が「適当な事を言ってやがる」と言われそうなこと。
「正信偈の経本は何故に赤い・・・」という檀信徒の疑問が時にあって(私は祖父や本山研修で聞きました)それを「血の色」だから・・・とチコちゃん風に答えます。
阿弥陀経もそうですが、当流の経本の表紙は「赤」が多いですね。まぁ気分次第では「夕陽の色」とも言ったりしていますが・・・
その一つの論拠が「本光坊了顕の血染めの聖経」の件でした。
結構に有名なお話で各サイトでも挙げられていますがこれは吉崎御坊であったこと。
その件以前も拙ブログにて記していますが自分自身「忘れるな」の気持ち。表記②の墓は再掲です。
火事に天災も怖いの一語ですし常々頭の片隅に入れておく事案でもあります。
緩みっぱなしの私には「繰り返し」思うべきものと記すことにしました。
文明六1474年に火災で燃える吉崎坊舎に蓮如さんが持ち出すことができなかった『教行信証』証巻を本光坊了顕が炎上する堂内に取りに戻ったのですが焼死してしまいます。
私なら「戻れるかな・・・」ともいつも考えてしまいます。
あの際、当然にご聖教も灰に・・・というところですが、その遺体の腹部に経巻が収められていたという話。
腹を掻っ捌いて我が身の腹の中に聖教を収めたということですが、その経典の「赤」こそが本光坊了顕の血に染まった色だと。
真宗門徒は本光坊了顕に限らず命を賭して権力と闘ってきた歴史、違う意味での血縁がありますが、そのおかげさまによって「私がある」ことを聞かされたものです。
「いのちをかけて」ということから、これら経典を粗末に扱うことはタブーであると、父は経典を「畳の上に置くな」とまで口うるさく言っていたものです。
赤本を見れば父親の剣幕まで思い起こします。
それでは蓮如さんが亡くなる七年前、七十八歳の時に記された
御文「疫癘」(流行病)を。
こちらが本日の主題となります・・・。
今回の盂蘭盆会法要の回文に添えました。
御文四帖-九 「疫癘」(えきれい)
当時このごろ ことのほかに疫癘とてひと死去す
これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず
生まれはじめしよりして さだまれる定業なり
さのみふかくおどろくまじきことなり
しかれども今の時分にあたりて死去するときは
さもありぬべきやうにみなひとおもへり
これまことに道理ぞかし
このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは
「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの
罪はいかほどふかくとも われを一心にたのまん衆生をば
かならずすくふべし」と仰せられたり
かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて
極楽に往生すべしとおもひとりて 一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ 露ちりほども もつまじきことなり
かくのごとくこころえのうへには ねてもさめても南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 申すは かやうにやすくたすけまします御ありがたさ 御うれしさを申す 御礼のこころなり
これをすなはち仏恩報謝の念仏とは申すなり
あなかしこ あなかしこ [延徳四年1492六月]
①は本光坊了顕像 ③御坊の図 御坊東別院にて。
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