凡人の幸せ明日をうたがわず 飯盛山 慈眼寺野崎観音

真昼間に民放の番組を回せば芸人と政治家両夫婦のバカッ話ばかり。辟易です。

あの政治家の夫婦は仲良くお縄になっていました。

まぁ溜飲が下がるとはこのことでしたが。

広島県民には深く反省していただかなくては。

国政ですからいわば日本の恥辱、汚点です。

 

それでも夫婦で議員を「辞めない」と言い張っていますのでこの世情、おカネで不安を抱えている国民を尻目にタダ貰いの給金を国民の納めた血税からむしり取る構図を今一度考えていただかなくてはね。

 

奥方にワシら夫婦がこぞって「臭い飯を喰うシチュエーションてあるかえ~?」と問えば「オイワレ、夫婦でお縄はまずありえんやろ、えげつない」(河内のオッサン風に)と。

要はどちらかがストッパーになるからであってこれは相互の煩悩を修正補足しあって人生を二人三脚で歩むからだということでしょう。

時に「二人でイケイケドンドン」の風を拝見することがありますがこれはみっともないことしきり。

その臭い飯を食わす場所のことを「塀の内側」と言いますが二人仲良く手を繋いでその内側にジャンプするなんて天晴といえば・・・語弊あります? 

そしてまた私が臭い飯を喰う時とは・・・奥方が「ワシが痴呆になって腐った肉でも食卓に出した時」と。

それを聞いてやはり呆けるのは私が先・・・と思ったところです。何と言っても私どもはごく普通の凡人ですから。

 

まぁソーリ殿のゴリ押しから検察を怒らせてのgood job、検察は総力あげて忖度なしの「徹底的」を期待しています。

一観客として是非に「この芝居」の面白いところ唸らせる展開を希望。

やはり大概の国民の気持ちは「奴らを高く吊るせ」(C.イーストウッド)に尽きるのでは・・・。

 

余計な事を記しますがこの希望の「希」は「うすい・・・」の意でもあります。

もしかして字面から私のその望みは薄いのかもね。

そういえば「希」という名も最近よく聞く名・・・真に受けないでくださいよ。

 

さて、一昨日の晩のヒストリアは信長特集でした。

「新しい信長像」の描き方を再放映含めてうまくまとめていました。

そして番組最後の予告がありました。

6月24日は「三好長慶」ということでこれも以前放映されたものでしょうがNHKはいよいよ大河ドラマに三好長慶を・・・に傾き始めたような気がしてきました。

 

拙ブログでも飯盛山の頂上(またはこちら)の図からその件記しましたがその飯盛山城の登城は奥方の同伴は最初から諦めて、私一人の登城でした。

各登城路ある中、目標を慈眼寺野崎観音としました。旧国名は河内、現「大東市野崎2-7」を(場所はこちら)。

 

そういえばあの時、大阪外環状線から野崎駅前の踏切を渡るのですが、カーブした先に踏切を跨ぐという形状。

まごまごしていると一旦停止を忘れそうですが、やはりその先でお巡りさんが待ち伏せしていました。

 

そういえば前述ご夫妻の旦那の方、クビになる前の法務大臣時代に酷いスピード違反をやらかして何故か広島県警に見逃してもらっていましたね。

今からでもその車の運転手を検挙してガッツリ罰金も取って欲しいものです。不公平ですよ。

 

その寺の観音堂ウラから飯盛山城への途は続きますが、一つの石碑が目につきました。

 

「凡人の幸せ明日をうたがわず」と記されていました。

なるほど、しかし、ちょっと待てよ・・・です。

勿論私は虚仮不実、煩悩具足の凡夫。

明日というものなど信じていませんよ。

「朝(あした)には紅顔 夕(ゆうべ)には白骨」は耳にタコができるほど聞かされていますし、それこそが無常・・・仏教のメインテーマですから(それでいてしっかりと生かされてよろこんでいる自分がありますが)。

 

紅顔ではなくて「厚顔のご夫婦」こそがその「凡人」なのか罪人なのかはたまた善人なのか知りませんがそれなりに希望した幸せというものについては疑っていなかったことは違いないところでしょう。

ある意味カワイそうな人たち。