昨日の東京11人。神奈川は5人。解除後も減少感ありませんね。
まだまだ県外移動自粛の雰囲気漂う中ではありますが、私はどこかのタイミングを狙っています。
奥方は山梨のフルーツ系の農場にならば・・・と言っていますのでどこか私の趣向と紐づけして計画することにします。
静岡県を含めた中部9県は「互いに県をまたぐ移動」についてやめることを申し合わせたとのことですが、静岡県は首都圏絶対ダメのニュアンス響く中、山梨県は互いに移動に制限を設けないという特別便宜。
「バイ・ふじのくに」キャンペーンだそうです(静岡県サイト)。
よって例の偽ステッカー、「静岡ナンバーですが山梨在住です」など作らなくても安心なのです。
よって今、静岡県で山梨ナンバーを見かけたからといって無茶してはダメですよ。
それにしても最近、解除後は他府県ナンバーが多くなりましたが、なぜかそこ(ナンバープレート)に目が行くようになっています。どちらにおいても同様でしょうから「自粛警察」のターゲットになり得るのでしょう。
150号線ですれ違う他府県ナンバーは以前のような波乗り目当てでやってくる愛知以西の人々ではないのです。
なぜならば海水浴場含め海浜の入口にはロープが張られ、駐車場へ入ることも「海系」は排除されています。
サーフィン目当ての人々をシャットアウトしたとしても経済的損失についてはそう大したことはないでしょうが、今年の夏は海水浴場の閉鎖が決定していますので「海開き」イベントはナシ。関係者は困るでしょうね。
毎年海開きには海難供養祭が一緒に行われますので私は毎年そちらにはお邪魔していました。それに関しては中止にはせず、相良仏教会所属寺院が集まって小規模ながら開催するとのこと。
ただし梅雨の真っ最中、今年はいつもの「海の家」が建てられないはずなので、「どちらで開催?」というところ。
思うに、海水浴場が閉鎖となると、相良も榛原も寂しい夏となりましょう。猛暑予報が出ているにもかかわらずですからね。
紫外線降り注ぐ砂浜にコロナウィルスが活性化するはずはありませんが・・・。
要はこの結論は学生アルバイトのレスキュー部隊が編制できないというのが一番の理由だそう。
書生さんたちは春からの休講によってこの夏は勉学に忙しくなるということでしょう。
この「海の家」問題は再燃するでしょうね。
昔で言えば相良の海は海水浴客でもっていたようなものですが今はといえば海遊びしない世代と遊びの多様化でほとんどガラガラ状態となって、「海の家」の撤退が続いていました。
ここへ来てこの病気。
まったくやってられないといったところでしょうね。
もっとも冷夏、長雨という季節性リスクとは違って、まだ海の家を建てる前の決定ですから、維持費も人件費の出費はないはず。そこだけは救いでした。
しかし、それをアテにしていたそれぞれ、建設会社に職人の手、ほかそれに関わる品々を納める人、駐車場管理するシルバーさん等々、仕事がなくなったということでしょう。
また、お盆の灯籠流しイベントほかあれこれも中止といいます。
不随する出費も無くなりますが、その宣伝と企画に関わる各社も商機が消失するということですね。
昨日、小耳にはさんだ話ですが、田沼関わりの中止の件は先日お知らせしていますが、今年度の牧之原市のイベントはほとんどが見直しあるいは保留となって予算は凍結されたといいます。
そしてまだ正式なところはわかりませんが、市役所職員の夏の賞与は「もしかするとナイかも」と。
いや限りなく「ナイ」に近いのでは・・・
牧之原市はスズキ主体に自動車関連の工場ばかり。
この「新コロ禍」で操業もままならず、製品も売れず。
どちらの会社もかなり傷んでいる様で市へ納める税金も激減するのでしょうね。
今言っても始まりませんが、業種を偏って誘致した感あります。
これから市議の定数や給金についても話は及ぶというのがこれまでのパターンですが町の雰囲気はそれは当然というのが趨勢でしょう。
国会議員と国家公務員だけですね、左団扇は・・・それにしても世界一の高給取りの日本の国会議員の方を何とかして欲しいですよ。
さて、四国堀の突き当りの先にある六万墓について記しましたがそのコーナーを山沿いに少々行った辺りにひっそりと建つ石碑があります(場所はこちら)。
石碑には時代が下ったことを表す隅飾りの開いたスタイルの宝篋印塔のレリーフが自然石に彫られています。
やはり六万墓同様、天文十一年の戦いの死者を追悼するもので、寛政三1791年に地元の民が建てたといいます。
広範囲にそういった痕跡(遺骨)が出てきたことを推測します。
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