桔梗塚 産湯井戸は白山神社と阿弥陀堂 山県市中洞

昨日の東京の感染者は3人。神奈川が7人。

GWアケ2週間が過ぎまぁ悪くない数字に辿り着いたようですが来週あたりにどう出るか・・・まだまだわかりませんね。

「新コロ」の手ごわさは各国で立証済みです。

それを目の当りにしているにもかかわらず、「解除」の動きになるのは経済疲弊による「人々の死亡」があるようです。

病気で死ぬか、経済で死ぬか・・・まったく以前で言えば不思議な論理です。

 

私などずっと「命」よりも重たいものはないと教わってきたものですから。

やはり「集団免疫獲得」が腹の内にあるのでしょうかね。

それは病気になるに任せて(対症療法にのみ重点)ウィルス抗体を持つ人を増やす-それが増えることによって感染の壁ができる-という策ですが、それは死ぬべく弱者を死ぬにまかせて、見捨てることでもありますからね。

 

そして拙速な政治の判断と人々の忍従不寛容によってより一層強い「自粛」をこの先に強いられることになるのでもあるのですが・・・。

宿題をさっさとやって遊びに行くか(希望ですが)、期限が押し迫るまで遊んで不具合の多い宿題を提出し落第点を取るか程度の違いと思っていたら、とんでもないことになるでしょうね。

次の宿題、次の次の宿題、そして新しい課題・・・山積です。

 

昨日は東京の拙寺ご縁の方より電話にて問い合わせがありました。

先般友人が亡くなり、このご時節ながら九州のご両親が参って葬儀が執り行われたのちご両親は遺骨を半分、地元に持ち戻ったとのこと。

菩提寺は地元の大谷派のお寺だそうです。

遺されたのは東京に残る家族の元、半分の遺骨。

 

東京地区の葬儀式の主導は今、葬儀屋さんであると言っても過言ではありませんが、それは「上京、在京して新生活」を歩む家庭が増えたということでしょう。

要は葬儀以降の「わたし」がどうあるかを知らず(自分の葬儀についてあまり考えず伝えられた宗教文化の意義を家族にも伝えてこなかったため)そのイザというときは手っ取り早く葬儀屋さんにおまかせするしか方法はないということです。

縁者の死に遭遇した際ほど、放心しかつ慌てることはないでしょうから致し方ないでしょうね。

 

そしてその方は故人の在京の家族から相談を受けたそうです。「49日には納骨し仏壇を購入すべきである」ということを葬儀屋さんから強く勧められ、近隣の他宗派のお寺と墓地の購入価格一式について紹介されたとのこと。

尚、葬儀式は葬儀屋さん手配により招かれた真宗のお坊さんで、しっかり法名は付いているようです。

それについて私の意見を求められたというわけです。

 

尚、こういう大慌てのシチュエーションは往々に葬儀式も他流で行って中には「戒名が・・・」などという場合も散見されます。

 

遺骨「半分」は御当家両親が持ち帰り、残りを手元に置いて他流の墓地に埋葬することはさすがにNGカードを出させていただきました。

そもそも墓地は一つです。

半分でも手元に残して参拝対象にしたいという気持ちは大いにわかりますが、おかしなことになりましょう。

今になって思いつきましたが「大谷祖廟への分骨」という体裁も選択肢としてありました・・・。

 

あくまでも普段の参拝対象は「墓石」ではありませんからね。

首都圏の葬儀屋さんのシステムは御商売でもありますので余計な事は言いたくありませんが、当流には「〇〇までに〇〇しなくてはならない」的な「戒律」のようなものはナシ。

それこそが阿弥陀さんの寛容にすがって「おまかせ」です。

敢えて言えばそれが当流の「掟」です(一向専念無量寿仏)。

 

「慌てることはないのでゆっくり最良と思われることをじっくり検討してください」と閉めさせていただきました。

 

さて、先日はテレビ番組で紹介された流れで山県市の伝承「明智光秀の墓」について記しましたがそちらにはその存在を支える色々もあるわけで・・・

 

それは光秀が産湯に浸かったといわれるその井戸で墓地参道入り口にあります。ただしこういったものには「伝」がつくというのが一般的ですがこちらは本気度100。断定的です。

 

この地は先日も記しました通り一応は「白山神社」のくくりになります。

山の上には小さな社がありますがその手前にはアルミサッシの「阿弥陀堂」があり、そちらには絵馬が並べられて代金を賽銭箱らしきポストに入れるシステムがあります。

番組では「帰蝶」が購入してそれをぶら下げていました。

 

阿弥陀堂の前に絵馬の販売所。

みなさんご商売と町おこし、熱心です。

何でもアリではありますが、「お土産」にはならないものの歴史に参加している感あってお気軽です。

その絵馬がどうなっているか、また確認に来たくもなりましょう。

私は「帰蝶」が納めた絵馬に興味が沸きました。

奥方に「見に行こう!!」と気軽に誘いましたが却下されてしまいました。

 

薄暗い阿弥陀堂の内部③④はサッシのガラス越し。限界です。

中には入れませんでした。

説明文の通り阿弥陀さんは立ち姿の三尊形式。

こちらでも「なんまんだぶ」。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 23 5月 2020 08:58)

    久々にお寺らしい記事でありがたく読ませてもらいました。
    住職の今回の件、大いに賛成です。
    私は常々不思議に思うことがあります。本願寺でもお内仏でもそうですが
    どうしてきらびやかなんでしょうか?
    私は親鸞の「荼毘に付し、鴨の河原の流れに流してくれ」この言葉に
    反していると思うのですがどういう理由からでしょうか。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 23 5月 2020 15:07)

    ありがとうございます。
    とてもシンプルな発想からそのような形式が伝わっています。
    当流の場合「お内仏」という呼び方をして「仏壇」とは言いませんね。
    お内仏は先祖を奉じる斎壇・・・家具・・・ではなく阿弥陀如来の存在を顕わにさせて自宅にお寺の荘厳を再現させたい・・・という願いから作られたものです。
    要するにお寺と同じものを・・・お寺は本山同様に・・・というカタチがシンプルに継承されたものがお内仏と呼ばれる所以です。
    では本山のあの形式は・・・といえば、「阿弥陀経」に描かれている「浄土の荘厳」を象徴的に現したということになります。
    よってお内仏は阿弥陀如来がおわすところ・・・浄土が身近な場所にある・・・という安心感を招来するものであるかと考えます。
    金ぴかである必要があったのでした。