大桑城の「石」の推測 朝倉氏一乗谷庭園から

続けて暑い日でした。東京の発症者は29人。いわゆる小康状態か・・・いつぶり返しても不思議はありませんが。

 

私は外壁のトップに上がり棟の瓦に座りながら木塀の塗装。

お尻が痛くてその表側半分でヤメました。世話人さんから「なんだまだ半分あるぞ・・・」と指摘を受けましたが今椅子に座るのが辛い。

まだ半分残っていることを考えるともっと辛い。

 

昨日は相良のお祭りが中止になって「辛い」というコメントをいただきましたが今、先の事色々を決めることは難しいですね。関係者にとって思い切って中止にしてしまった方がどれだけラクなことか。

 

お寺には毎年のスケジュールがあって今後のことについてその実現について不安定ですが「来年のこと」といえばなんと言っても一年順延されたオリンピックがありますね。

 

その実現についてぼちぼち「実現不可能」の声が出だしているようですが、尤もなことだと思います。国民もうすうすそれを感じ取っていることでしょうね。

コレをまだ本気で実現しようとしている人たちといえば選手たち(辛いでしょうが)以上に東京都知事と総理殿。

 

私からすれば呉越同舟の感ありますがおそらくその舟は沈没の確率の方が高いでしょうね。

現実を直視しなくてはなりません。

これからアフリカ大陸ほかその他諸国にその蔓延の手が伸び(既に浸潤しているはず)終息とは程遠いでしょうから。

 

世界各地からのプレイヤーを集める祭典、お馴染み先進国諸国の収束が見えたとしても地球的終息がなければそのようなお祭りはできるはずもなく。

 

先日「安心するのは早い 日本の感染被害のピークはこれからやってくる」という「WHO事務局長の上級顧問 渋谷健司キングス・カレッジ教授の警告」なる記事を読みました(→こちら)。

ノー天気な私どもを奈落の底に落とすような「耳の痛い」お話ですが、政治家特有の「自利」保身の話とは違い、説得力があります。

やっぱり厚労大臣は医者、文部大臣は学者・・・それに尽きますね。「利他」の心が今の政治から伝わってこないことがイケません。責任逃れほど見苦しい態度はないですから。

 

さて、先日ブログにて大桑城の番所址(伝 岩門)の山県市のパンフ記述にその石使いに一乗谷の倣いを示唆する記述がありました。

「巨石を使った石垣や庭園の荒々しい石組が特徴で大桑城が越前の影響を受けている」の件です。

 

今の大河ドラマを見ていて座敷から開け放たれた縁側超しにはまず石が並べられた庭園の趣が「演出」されていましたがこれらを見て、やはり越前一乗谷の庭園をイメージしてのことだろうな・・・などと思って視聴していました。

 

その一乗谷の朝倉氏の各屋敷には庭園の存在が確認されていて主たる庭園には国の特別名勝のお墨付きがあるくらいです。

発掘調査進捗と整備のおかげですが、戦国大名の趣向としてここまで都の禅風庭園を表現したというのも朝倉氏の粋を感じます。

 

以前小田原北条の庭園跡も拝見しましたが、水路と池状のものは確認できましたが、石を巧みに配置するものではありませんでした。関東は昔から野暮といわれる所以でしょうか。

 

朝倉義景屋敷跡から4つの庭園跡を見ることができます。

義景屋敷裏の庭園は義景屋敷跡ブログの⑧の奥に見えますが

その庭園のほか湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園の4つがその指定になっています。

 

画像は湯殿跡庭園。以前の桜の時期の画像です。

拙寺境内に配された石たちは先代父の趣味。

私は境内で車の切り返しに邪魔と感じますが、それは小田原生まれの野暮だからでしょう。