昨日の東京は72人。
久々二けたですが例の週末要因かも。
それにしてもまず「減少?」の傾向は見えてきたような気もしますがその手の楽観論が出たらおしまい。
なんてったって100年前のスペイン風邪のパンデミックの際は
3年間続いて当然ながらそれ同様のシバリを強要されたのが我らご先祖様ですからね。今言われている「集団免疫を獲得するには1~3年かかる」の論はそこでしょう。
今回の新型の件それの再来となれば、もしやその「三年間」・・・を受け入れるのは致し方ないところで「来年に延期」の色々など真顔で言うことが如何にノー天気でバカバカしい夢の中の話かとも思うわけで。
それはここ2週間かそこらの緊縮で音をあげている私どもに
「3年」などいう時間は酷のなかの酷です。
自由な活動の制約は勿論、経済への諦めムードは進んで人々の心の忍耐の底は割れて底なし状態・・・だいたいそのような直近未来も最悪予想されるワケでして。
本場中国や北海道の最近の患者の増え方を「第2波」という方もいるでしょうが、本当の第2波は来年、再来年、もっと悲観論を言えばこれから毎年のようにお付き合いしていかなくなるかも知れませんよ。
その最大悲観を推測すれば「今頑張れば何とかなる」の論拠ない楽観論をもって「前向き」を維持し続けようとすればより一層「破綻」は近づくということなのかも知れません。
早い時期の終息を望みますが、最悪の事も考えておかなくては。
横穴に放り込まれて入り口は塞がれています。
ローソク1本、スコップ1本。助けは来ない。
掘っても掘っても外の明かりは見えない。今どのあたりだろうの自問自答。あと数mも掘ればいいのか・・・それとも永遠なのか・・・わからない。
最後の力を振り絞って一かき二かき。そして諦め倒れる。
今はそんな感じでしょうかね。
昔、海賊の映画か何かでのストーリーだったと思いますが、白骨化した遺体からあとほんの数十㎝掘れば外に出られていた・・・というオチがあったかと。
さて、先日は龍安寺から仁和寺に辿る裏山、圓乗寺東陵のミツバツツジについて記しましたがその先にあるのが宇多天皇大内山陵。
宇多天皇(867~931)陵墓がここにある理由は仁和寺の創建者だからです。もっとも寺の勅願は父親の光孝天皇ですが・・・こちらは寺で言えば「仁和寺奥の院」という感じかも。
何度か拙ブログでも記していますが明治維新以降天皇家は何かというと伊勢神宮という流れがありますが、長い歴史からすれば違和感ありますね。
天皇家は仏教に帰依していましたし、上皇として退位すれば法号を名乗り、寺に入るというならいがありましたね。
要は坊さんになるということですから。
よって仁和寺など当初は御所同等。
今の上皇が寺を創建して坊さんになるということと同様です。
その宇多天皇といえば宇多源氏の祖。
要は近江佐々木氏(近江源氏)の祖ということで、私など各地墓地で「四ツ目紋」を見かければ・・・「佐々木さん」・・・の連想をしがちですが宇多天皇の子孫・・・まで飛躍して考えることができるワケです。
その宇多天皇のそれらのことよりも一番に著名な件といえば「寛平御記」(宇多天皇御記)に記されていたという愛猫の記述。
その生き物も仁和寺同様というか父親の光孝天皇から譲られたといいますが、平安期の日本のネコの記述としてとても興味深く惹きつけられます。
ネコ好きのブログには頻出の件で「宇多天皇-ネコ」で検索すればまたぞろ出てきますね。
参考としてこちらのサイトをお借りしましたが概ねどれだけこのネコを宇多天皇が溺愛していたかがわかります。
だいたいそこまで一匹のネコについて評価することなど私にはできませんし。
クロネコを見れば宇多天皇のネコの子孫?などとも思ってしまいます。
画像は境内で遊ぶいつもの外ネコ「舞鶴殿」。
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