八坂でなくて 大慈仙町「八阪神社」 円成寺の先

東京はやはり三桁で149人で医療のパンク寸前といいます。

ここ静岡でもあの宣言が出ることになったとのこと。

お店や学校の色々、大変です。

こうなったらどれもこれも冥途の土産のつもりで見据えましょう。

たくさん法事の予定が入っていますがどうなるのでしょう。

キャンセルの報せが入ることを目論んで奥方と「ワイハでも・・・シャレ込むか」とはいいつつ、よく考えたらどちらにも行けませんでした。

国内日帰りドライブなら・・・

 

昨日は晴れでしたが雨が降り出すという予報がありましたので境内雑用前に溜まっていた花ガラを処理場に持ち込みそのあとから鐘楼裏の掃除に取り掛かりました。

 

鐘楼裏はここのところ放ったらかしでしたので堆積した落ち葉が下層で既に土になっているくらい。見たこともないデカいミミズが出てきました。

ただしその手のもの(腐葉土)を処理場に持ち込むことはあり得ません。

ただいま南側隣地境界に積み上げ中です。

10年後にはちょっとした土塁ができているかも知れません。

 

並んでいる石塔を動かしての仕事になりますのでヘロヘロになります。石塔に刻まれた文字など眺めつつのんびりですね。

残りは次の晴れの日に。

尚、墓参の方は4~5人くらい・・・私はノーマスクですが皆さんは装着されていますので、どなたかわからない・・・という感じ。

 

さて、昨日は舒明天皇の陵墓の地周辺で見られた「忍阪-忍坂」の表記並立について少し触れましたが今一つ「阪-坂」について。

尚、私はその文字に関して特に使用頻度の高い「大坂」の語には「阪」の字より「坂」の傾向(大阪城→大坂城)はあります。

 

この「坂」の文字から受ける印象は「より歴史を感じる」という単純な理由ですが、この字は音読みにすると阪(はん)と坂(ばん)。この字一字から受けるニュアンスは阪神と坂東の如く西と東の雰囲気が漂います

まぁ色々些末な件、明治維新で変更されるわけですが、どうでもいいようなことも多々あってその方向性を無視したり、「昔のまま」を踏襲しようとする動きもあってより、紛らわしくなったかと。

 

南山城、当尾からホイという具合に奈良天理方向に抜けようとする際、奈良市内を通過するというのはうまくないですね。

現在ならばスカスカでしょうが、通常であれば酷い混雑に時間浪費の苦痛を味わうでしょうから。

先日は奥方を連れていたせいもあってしっかりと昼食を取ることにしました。

私が単独の場合は昼食など大抵抜きになりますが・・・。

まさか奥方に「昼食抜き」宣言したとなれば二度と一緒に外に出てくれないでしょうからね。

そこは押さえておかなければなりません。

 

どちらのご主人様も奥様の機嫌は大事なこと。

ただし夫の意趣が通じない妻というのは困ります。これは本邦宰相ご夫婦の件ですが・・・。

国民には「家にいて」の巧みな演出、実は妻は気楽に九州旅行。

再び「巧言令色鮮し仁」を思いました。

 

 

そのコース上にうってつけの店があります。それが円成寺の茶屋「里」。

ご時節がら開店しているかどうかが問題でしたがあの時は開いていました。勿論客は私どものみ。

 

こちらの定食はガッツリ系ですが、奥方は里定食に私はランチ。

その日はチキンカツとうどんのセット。

何しろうどんの出汁の味はやみつきになりますね。

こちらは今年のお寺の遠足のコースに入っていました。昼食は浄瑠璃寺参道の店の予定でした。

 

そちらから奈良の春日山を迂回して天理方向に進みますが円成寺前の柳生街道(369号線)を少々奈良方向に進み(たしか1つ目の信号か)を左折(須川西挟川線)。

少々行けば左側に左右に灯籠のある道がありますのでまた左折すればすぐに八阪神社に突き当たります(場所はこちら)。

 

八坂神社(あるいは弥栄)の字面は京都で慣れていますが「阪」の字は如何にして・・・と思い寄り道しました。

しかし不明のまま。どうせ元は「坂」だったのでしょうが。

政府の意向に沿って真っ先に変えたという感じか・・・

奈良にはその名の神社はあるようですが・・・やはりその件もはやどうでもイイことなのでしょうね。

 

グーグルマップでは「八坂」になっています。

意外ですがこちらの本殿は重文指定になっています。

奈良という地の懐の深さをこういった場所でも知ることができます。

 

①②③は先日の円成寺の浄土庭園の様子。緑が鮮やかでした。

④は「里」のメニュー。

味にうるさい奥方も満足してくれました。