阿弥陀如来坐像摩崖仏の仏谷へ

日本に未だ感染の超爆発に至らない件、世界では摩訶不思議に思っているようです。

色々な説が飛び交ってどれもこれも一理あるとは思っていますがこれも「なるほど」と思ったのが日本独特の「畳文化」。

要は「靴を脱ぐ」ということです。

当たり前の事ですが玄関で靴を脱いでから居間に入って寛ぎ、食事をとるということですが、その件も感染を抑えるに大きい習慣といいます。

 

要は靴周辺に着いたであろうウィルスを家庭内に持ち込みにくくしているということが畳文化ということですね。

以前といえば履物と言えば草鞋。

屋敷に上がるには水を張った盥を持ち出して足の汚れを洗ってから座敷に上がったものでした。

 

昨日は外遊びにアルコール消毒液を持参することを記しましたが一言追加いたします。

車で目的地に向かっても手洗いと食事はとりますがその件が一番怖いところです。

よってその容器ごと持って出るというのがそれですが、その消毒液の出番は手指の消毒だけではありません。

車に乗る前に足元と靴、靴裏にも噴霧します。

そうしないと付着したウィルスを車内に持ち込んでしまい、もしそれが閉鎖的空間の車内で浮遊したとしたらまずアウトですから。

 

とにかく目に見えない敵と戦っている最中です。こちらも色々作戦を考えて行動しなくてはなりませんね。

私はどうしても法要に出なくてはなりません(不特定多数の密閉空間での読経)ので「その時はしょうがない」という身ですができるだけ「できることはやる」というつもりです。

ただし籠りっきりなどはご協力できません。

 

昨晩夜7時からはBS「にっぽん縦断 こころ旅」に。

お隣の愛知県でした。

三河湾の篠島へ自転車とともにフェリーで向かうというものでしたが、途中立ち寄った店の鉄板あつあつナポリタンは美味そうでした。名古屋圏特有のものですね。

来週からは静岡県に移動しますので少し楽しみです。

また4月11日(土)よる9時「柳生一族の陰謀」も今気合を入れて視聴を待つ番組。

大河ドラマ「麒麟~」の「松永久秀が柳生宗矩」というキャストです。

 

私の「こころの故郷」など格好良く言わせていただければ「南山城、当尾」ですが昨日記した「半径1㎞」に人は居ないだろうと思わせる場所といえばそちらでも特に人家が見えない山谷です。

今年5月のお寺の遠足はこちら当尾の野山を歩くというものでしたがそれは既に中止としています。

 

一昨日、相良から真っ先に向ったのは当尾の大門仏谷と呼ばれる場所でした。ただしこちらは遠足のコースには入れていません。

岩船寺から「わらい仏」経由浄瑠璃寺のコースでクタクタになっている皆さんをこちらの谷まで引き回すのは気の毒ですからね。時間があれば顔色を見て案内したいとは思いますが。

 

一昨日の一番の目標は少々の人出は覚悟しながら「人気の桜 この一本」を見ての日帰りの行脚でしたが、まずはこちらの阿弥陀さんを奥方に紹介しその下でウグイスの声を聞こうという企画です。

 

大門仏谷石仏は以前ブログでも記しています。

その際は「川はない」ようなことを記しましたが谷あいとなっていてほんの小さな川が流れ全体は湿地帯です。

また、前回ブログの標識の通り製作年代については不詳で推測となりますが、そちらでは鎌倉初期になっていました。

 

しかし、川勝政太郎氏による書物では平安末期との評価。

当尾では最も古い摩崖仏となりますが、

①幅のある円い仏顔②肩が盛り上がって首が埋まるような豊満な仏身がその特徴といいます。

 

二重光背形に裳懸座の上に坐する半肉彫りで印の結び方は定印の如くですがよく見ればちょっと違う・・・

いずれにせよ約2.6mの大きさは圧巻です。

 

仏師大工の名も施主の名も伝わっていませんが、1200年以上経ってもその「仕事」が評価される事は凄いことだと思います。

口だけ名ばかりの人が出だしたらそれは世紀末なのでしょう。

この阿弥陀如来の前でもただ私は「まぁいろいろたのむ」と合掌。それは「また次に来させていただくこと」が主眼ですが・・・。

とにもかくにもこの大きな自然に包まれて

「たのむ一念の時 往生一定御たすけ治定と存じ このうへの称名は 御恩報謝とよろこびまうし候」(改悔文)の通り。

 

「加茂青少年山の家」近くに車を置いて⑨の道を進みます。

そのまま車で行こうと思えば行けますが停める場所ナシ。すれ違いもできず。

そして道を真っ直ぐ進めば東小墓地方向(その手前の石仏群)になります。

 

⑩画像左に下り100mも歩けば左側に摩崖仏が見えて来ます。

実はこちらには畑があって耕作者、所有者がいらっしゃるということですので人が全く居ないということではありません。

 

①②は午後の青空の下、その日の最終目的地周辺からの図。

仏谷はまだ陽が低くて肌寒さが際立ちました。