浜岡の叔母のケアへ向かいました。
ノーマスクで「私は風邪などひかないから」といいながら元気にスーパーマーケットを闊歩している様子に苦虫を潰している私どもがあります。「マスクなんていらない」と、聞く耳持たず。
静岡県の感染者3名は上出来・・・などと思っていれば浜松で4名目が出てしまいました。
それでもお隣の愛知、神奈川に東京の突出(昨日だけで63名)と比較すれば許容範囲でしょう。
ただし今叔母から「ウィルスかもしれないから来て・・・」などと言われたとしたら二の足を踏みますね。
介護・看病に行くことを考えるとどうしていいかわかりません。
こればっかりはどうなるかなどわかりませんが、この辺り地域の様子といえばいつもと同じ。
ただ一体ここの人たちの頭の中はどうなってるの?と首を傾げるのはパチンコ屋駐車場満車の件。
あちらは普段以上に人が集まっているような気がします。
身近な場所のお遊びには打って付けの場所なのでしょうね。
思うに感染経路不明の方たちの中で「パチンコ屋行ってそこが怪しい」とは言えないかも。
「軽率だ・・・」と後ろ指を指されかねませんが、ではどうしてそこは「自粛しないの・・・?」という単純疑問が発生。
ウラで何かの力が動いているのか・・・などとも考えてしまいます。少なくともこのような御時節、ご指導があっても不思議がないと思うのですがね。学校を休ませておいて大人はパチンコ屋でお遊戯・・・いずれこの辺りも爆発するのでは・・・
そしてまた壮大で情緒的、哲学的そして現状の詳らかなご解説の演説を聞きました。しかしながら「これは結構」などともろ手を挙げての評価をされる方は少ないのでは・・・いつもと同じというか私たちが承知していることばかりの復習談。
これは昨夕の総理殿の会見です。
国民の望んでいるのは「そこじゃない」・・・「痒い所」ではありませんでした。
既に報じられている内容の繰り返しと、自画自賛的大風呂敷を広げて「凄いの出すよ、出すよ」の手品師の如くに感じました。
素早く迅速に・・・の言葉は聞き飽きましたが、ピンとこない。
現状何も進んでいない事がよくわかりました。いずれも「検討します」ですからね。
「そうじゃない」との反論をされるのなら、政府が表明してから相当期間経った「マスク数億枚増産確保」の拡声、一体今どうなっているかご説明いただきたいものですね。
いまだ店頭にマスクの一枚も並んでいませんよ。医療現場であってもその不足の悲鳴が未だ鳴りやまず。
お口だけの「凄いよ、やりますよ」のアナウンスはもう結構。
形式重視のうえ「実行力」と俊敏行動の欠落は見ていてほとほと痛すぎます。
対応が甘く、また遅い・・・これが永遠に続くが如くです。
人はもはや修行者のようになっているかの躰。
それでも我慢するのみなのですね。
たとえ自身が亡き者になったとしてもです。名実ともに「仏」になれということですね。
漫然として危機意識が無く自己保身に走る人たちを揃いに揃えた結果のその咎である・・・と断じたとしたら何も関りのないと思っている庶民には気の毒ではありますがね。
痛めつけてきた自然がここへきて人類淘汰の牙を剥きだしたなどの因果を考えたくありませんが、私たちは今、立ち止まって色々考えなくてはならないことが山積ですね。
この災禍を生き抜けたとしたらまた知恵を寄せていかなくてはなりません。
当流の「正信偈」には「仏」としての働きのことを記した
「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」
なる一節があります。
「仏」として往生(往って生まれる)しても修行者・・・菩薩同様に動き回って煩悩世界との往来をし「応化」(救いの手だて)する・・・というその「働き」の件です。
為政者たちにその「応化」を期待しても絶対に無理。
なぜなら彼らは我らよりも余程ドロドロの煩悩ジャングルに生息しているからですね。
魑魅魍魎の群衆であるともいえましょう。
洋楽好きの私のイメージでいえば毎度お馴染み大好きなGuns ~の「Welcome to the Jungle」のイントロが聞こえてきます。
歌詞にある「金さえあればおまえの病を何とかしよう」は如何にも示唆的。
まるでウィルスからのメッセージの如くでもありますね。
さて、桜の季節といえば昨年の一乗谷の私の独り占め空間が思い出されます。
満開が去年と同様なら今年も4月中旬頃だと思いますが枝垂れのキレイさは最高でした。今年あたりの人の出はより一層少なそうですから満喫できそうですね。
大河ドラマではこれから明智光秀は道三の死とともに美濃を去りここ一乗谷に現れることになりますが、ドラマのストーリー進行についてはわかりません。
イキナリ越前ということはなく将軍や三淵藤英からみでの越前への下向でしょうね。
そこの描き方も面白いところです。
撮影はセットが主となりましょうが現地撮影するのかな・・・と思うのがこちら。大河ドラマ盛り上げのためには現地撮影というのがスジでしょう。
というと一乗谷の顔といえるその入口にある圧巻の積み石「下城戸」(しもきど)が思い浮かびます。屋形跡の門も悪くないですがこの石積みの方がより城らしい食い違いの枡形カットです。
昨年のお寺の遠足ではこの前にバスを停車いただいて希望者だけですが降りていただきました。
そうしないとバスは屋形近くの再現区域まで行ってしまい、折角の遺構を見落とさせてしまいます。よって700mくらいを歩いてゴールするワケですね。
一乗谷の西は標高200mの御茸山、東と南は400m超えの山々に囲まれて北のみがわずかな開口部になっています。
その北側は福井平野を流れる足羽川に支流の一乗川が天然の外堀となすロケーション。
その足羽川は「府中」一乗谷と福井平野の田園地帯に三国湊を結ぶ物流の「道」でもあったわけですが、一乗谷側からすればやはり一番の脆弱性を思料したでしょうね。
その表れがこの遺構、下城戸です。谷口の狭量になっている箇所ですから効果的に機能していたでしょう。
ただし南側2㎞ほど上流に「上城戸」の土塁がありますが、「上」の通りそちらが大手、この北側の「下城戸」が搦手というのが通説のようです。そしてこの二つの城戸の中にあるということから「城戸ノ内」。そのエリアをいわゆる「一乗谷」と
呼ぶのでした。
画像⑥⑦に見えるのが標高約470mの一乗城山の裾(下城戸登城口)。
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