本当にみっともない話で静岡県民として「ごめんなさい」と頭を下げたい気持ちです。
焼津の県議会議員さんのマスク売りさばき発覚の件です。
「寄贈」「寄付」とか「問題ない」の語を連発してその責から逃れようという意図が見えていましたが、そもそも「問題がある」からこそ騒ぎになっているワケですからね。
タイミング的に今それをやれば「問題」なのでした。
オークションで高値で売りさばくなど少なくとも議員さんとしてはやってはイケないことでした。年端もいかないガキじゃああるまいし。
当人的な「問題」とは「バレてはイケないこと」だったのかも知れませんが。
バレてから開き直るというのも議員さんたる人の所以か。
昨日は遠方から法要のお客様を迎えましたが、墓参の際は「陽春」の青い空の下、まさに爽快を感じました。
時節、遠方なるが故に私は一週間ほど前に開催の延期を勧めていましたが「それには及ばず・・・」とのことで予定通り開催されました。
結果、好転に恵まれて変更延期の推奨は野暮だったかも知れません。
とはいえ、現世の辛苦の体験色々、日々人心をほとほと暗くさせています。闇夜に等しいような・・・。
よく「朝の来ない夜は無い」(希望は捨てるな!!)とはいいますが、この感染症対策とその終焉、先が見えて来ません。
一縷の光さえも見えてきませんね。
政治の無能というよりももはや人間そのものの限界と現実を突きつけられているようにも感じます。
お念仏してただ見守るのみです。
さて、奈良春日大社の国宝館からの参道、森の中を通る「鷺原道」について記しましたが、その木々の中を進むと芭蕉の句碑がポツンと立っていることに気が付きます。
~この参道の瓢箪の灯籠が鷺原道に入る目印になります(場所はこちら)。
石碑には「びいと啼く尻声悲し夜の鹿」とあります。
芭蕉には「びい」と鹿の声が聞こえたのですね。
「尻声」とは発声の後に響く「びい~~」の「~~」のことですね。
「びい~~」の「~~」のところが物悲しく感じる「秋の夜」だったわけで。
「鹿」(雄鹿)は秋の季語で春の鹿といえぱ子供がお腹にいる雌の鹿の様。
今、奈良の一部の鹿たちは観光客から提供される鹿せんべいが習慣付けられていて、観光客不在となった奈良公園から街中までそれを求めて出張っているとのこと。
鹿も人も悲しい時代です。
春日山原生林の絶妙とは言えませんが少々手が入っているだろう谷と林にイチイガシの大木がそびえ立っています。
秋にぶらっと行った時はその落ちた果実を鹿たちに喰われる前に集めて、発芽にチャレンジしたいものと思いました。
秋頃までには収まっているのでしょうね、この沈滞ムード。
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