感染者を差別する気はさらさらありませんが、あのクルーズ船を降りてスグに静岡の自宅に戻ってジムの風呂に行っちゃったおっちょこちょい(「私は大丈夫」とケアを怠った結末)の御仁が出なければ今頃胸を張って「静岡に感染者が出ないのは緑茶カテキンのおかげ」などと吹聴するところでしたから残念無念。
私はいつも通り緑茶をガブ飲みして喉を潤しています。
それにしても新型コロナの感染者数の北海道での突出はスゴイですね。
寒冷地ならではの家屋等の気密性の良さがあるのでしょうか。
3月3日までに79人の陽性患者が出ているようですが、専門家のシミュレーションで実は「940人~が感染している」・・・と言い出しました。
何か北海道は実験場にされているような気がしますが、では「東京都はどうよ・・・」と聞いてみたいですよ。
人口密度からしてホントは半端な数ではないのかも・・・
それが表に出るとパニックになるおそれがあるので「検査しない」というのなら話が合ってきます。
なんでもかんでもこの国は本当の事を明らかにしない傾向、エライ人たちというものは謝罪せず、修正をしませんね。
とにもかくにもPCR検査について結論としては「まだやらない」に等しいようで、政府のヤル気の無さを感じます。
保険適用とは言いましたが実態は相変わらず「37.5度4日間まで家にいろ、軽度の場合は家で寝てろ」の躰でまた保健所通し。
検査が何よりも肝心なのにそれを判明させることができません。
和歌山県では政府の方針をあきらめ、自ら「優先順位」を作成して片っ端から検査したといいます。蔓延を防いだ成功例として昨晩NHKの番組で報じられていました。
各地方自治体単位での検査体制を確立するのがいいですね。
「医療ではなく研究である」という形式にすれば民間機関に頼み込むこともできるかも。体裁を変えてしまうウラ技です。
「研究課程で検体からたまたま反応したものに対応しました」です(現状検査は国の機関、お墨付き限定です)。
法解釈のデタラメは例のお友達定年延長のゴリ押しといい総理殿お得意分野でしょう。
ここまでPCR検査を民間委託しないというのは何かきっと莫大な利権が絡んでいるのかも知れません。
やはり東京・大阪・名古屋・神奈川でなくてなぜ北海道がバクハツしてるのかは勿論「検査の件」は本当に理解に苦しむところです。
北海道蔓延についてまた一つ私が思うのは雨の件。
最近は春へ向かって雨天の頻度が高くなりました。
雨降りはこれまででしたら腹立たしく恨めしく思ったものですが、今節この状況で雨が降れば、何か悪いものを流してくれそうな気がして・・・考え方が少し変わってきました。
湿気で潤った空気というものにあ奴らの飛散は妨げられるでしょうし、湿潤な空気は喉や鼻の粘膜の乾燥を防ぎますね。
ところが北海道では大抵、雨ではなく雪。
根拠レスですが、流れる流れないが関係あるのかも・・・
温暖な当地にとってはまた「恵みの雨」なのかも知れません。
緑茶と抵抗力(栄養と睡眠)を欠かさない生活を心がけましょう。
さて、雨といえば本堂の雨樋が詰まっていてまたこちらも私の宿題の一つが追加されました。忘れたころに詰まり出す雨樋ですが、周囲木々に囲まれている環境では仕方ないでしょうね。
メンテは不可欠です。
ただ、本堂の場合は高さがありますので「さぁ、やるぞ」の気合が無いとダメですね。
ホースの先端を持って梯子で上がったところで奥方に蛇口をひねってもらう作戦です。やろうと思えばものの3分で終わる仕事なのですが・・・尚、梯子は今は別の場所に括り付けてありますのでそちらの仕事が終わるまで・・・。
その「樋」(とい・ひ)について一番に思うのはやはり雨樋(あまどい)ですがそもそもそれは水を流すための管のことです。
以前といえば水を利用するために流す道具ですから、現在のように樋を屋根の縁に設けて水を排水(捨てる)為に利用しようとしたものではありませんね。
川や遊水池等から田や家庭まで水を通す管のことを「樋」(ひ)といいました。
当家ご先祖であると代々思い込んでいるのかもしれない今井四郎兼平の兄に樋口兼光という人がいましたがその「樋口」こそ「取水口」「水源」にあたる地名でした。
大きな意味で「井戸」ともいいますので今井も樋口も同類の苗字ですね。
先日奈良水害の件記した際、故鈴木一久先生の論文を抜粋して転機しましたがこちらでも。
「文化八(1811)年六月十五日
南山城大雨で出水、流家流死人出る(庁事類編)。
加茂町では十五日の洪水で観音寺の宇藤兵衛屋敷で山崩れが10間四方にわたって発生、同じく宇庄兵衛岩では長さ30間横7間の山崩れが発生(観音寺区有文書)。
精華町ではこの年五月、支流煤谷川が出水し、用水堰19間と樋2ケ所が破損(菱田区有文書; 精華町史)。
久我山町ではこの年出水にて堤が切り崩れ、石垣が流れ込む(中西家文書)。」
この「用水堰19間と樋2ケ所が破損」の記録について当たり前ですが「自宅の雨樋が破損した」ということではありませんね。
雨樋の破損程度ならば記録に残すほどのものではありませんがこの「樋」(ひ)となれば生活に関わる大問題。
水源からの距離があれば大層な復旧工事が必要になります。
こちら相良でも農地から町うちまで「水」に関する争いやその「水道」の苦労について耳にしますがこのような相良のド真ん中でも永らく樋で引いた井戸に頼らざるを得なかった時代があったのでした。
画像は相良の中心部の「御長家井戸組合」の井戸跡。
相良牧之原市庁舎所の前の通り、①の奥にJA相良支店が見えます
「箱樋・竹樋」の語が・・・。
箱樋は「流しそうめん」をイメージしていただければ。
高低差を以って流れを発生させる原理です。
大沢の高橋あたりから水をひいたとありますので距離もありますがその工作物の維持も大変だったでしょう。
今は蛇口をひねれば・・・の安直。有難いことです。
その有難さを現代人は忘れているようで。
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