登廊399段と巨大十一面観音 初瀬(はせ)山の長谷寺

イベント等中止、中止のうえ外出のリスクがいよいよ声高に叫ばれていますが、気がかりなのは収束の時期。

拙寺では毎年5月にバス遠足を企画していますが、既に行程概略は回文していますし、ホテルも手配済みです。

それを延期・キャンセルなどともなれば色々再考をしなくてはなりません。まさか冗談じゃない・・・と。

バスという密閉空間に居てそれぞれの健康状態も把握しきれませんし、不特定多数の人たちが行き交うS.A.には何度も留まらなくてはなりません。

 

さて、一昨日記した六字名号自然石碑ですが、台座含めて2個で1セット。

南山城、木津川流域に住まう人たちがその標を長谷寺に設けたのはどういう意味があったのでしょう。史料と同じ日にちというだけで石碑とその地での洪水が一緒である確固たる証はありませんが・・・

 

それにしても手間と労力もそれなりに推れます。

地元の石工に造らせたとしても経費は重大です。

現代風に考えれば、「自宅から遠くても墓は菩提寺に・・・」ですが、木津川加茂周辺にはそれら末寺も点在していますし、厳密に埋葬墓は近郊「山の墓」というのが常。

 

あの名号碑の意味は多数の「流死」して埋葬もできなかった人々への報いであったことも想像できますが主たる意図は「忘れない」の表明だったのでしょう。

それも50年たっても新規に・・・というところが圧巻だったワケで・・・

※2020年03月01日

 「初瀬流れ」という災害名判明 追記しました。

 

宗旨的な視点からの想像ですが、長谷寺といえば元は南都(興福寺)の流れ、真言宗豊山派になります。

真言宗のお寺のイメージは空海と大日如来のイメージですが何といってもこちら豊山派総本山長谷寺で圧巻なのは10m超えの木造十一面観音ですね。

堂内直前の撮影はできませんのでウィキペディアから画像をカットさせていただきました。

 

仏像としての大きさも初めて見る人には圧倒的で思わず声が出そうになるところですがあの姿は特異なスタイル。

持ち物が巡錫の地蔵と同じです。

当尾の藪の中の三体摩崖仏には阿弥陀如来、地蔵菩薩に加えてこの「長谷形」と呼ばれる錫杖を右手に持つ十一面観音菩薩像がありました。

そういうところにも南山城の人々と長谷寺の関連がうかがえるというものです。

 

あちら長谷寺もそのバス遠足目的地として選択肢にありましたが、結論はパスでした。

あの初瀬山の中腹にそびえる十一面観音のおわす本堂までの階段、399段の登廊が年配者の足腰に厳しくあたります。

毎度当バス遠足には障がい者手帳持参の方含め七十代以上の方多数。クレームが沸き起こりそうですし、下りの帰り道に冷や冷やしたくありません。

平地の少々の距離ならばいいのですが、アップダウンは無理なのです。

 

今年も当初の予定は京都の西山の善峯寺と三鈷寺でしたがあちらのアップダウンも半端なく年配者の気力と体力を阻みますので変更したという経緯がありました。

三鈷寺から望む京都盆地、比叡の山並みは絶景で案外穴場、是非にと思ったのでしたが二日目の約1.5㎞の散策が主になっていますので、まずクレームが出ると思い広隆寺に変更したのでした。もっとも初日は殆ど自由行動にしてホテル集合としていますので、「それでは困る」という方用にそちらを用意したということです。

 

⑥寺紋の「輪違い紋」⑧懸造本堂前の舞台から。