不思議のこと 楠正行 父子の像 綿向神社

この国の物事に対する対応力の無さをずっと見させていただいています。

挙げていればキリがありませんがその1番は「経済へのマイナス材料」ばかり注視してノー天気に春節という中国の皆さんの大移動を入国容認していたことでしょうね。

そして当初の全員のPCR検査はしない、武漢シバリ、クルーズ船対応すべて大失敗。

よしもと風に言えば「こりゃアカンやつやぁ・・・」です。

政府の対応稚拙はまったくもって「不可思議なこと」の連続でもありました。

 

消費税上げ後のGDPのマイナス成長率(年率-6.3%)発表もありましたが、そのあたり(経済面の数字)を考慮しての後手後手があったでしょうね。中国マネーの消費恩恵です。

「こりゃ」1-3月期も酷いことになるでしょうね。

消費税元に戻したらどうかしらね?

 

来週奥方が義母と東京に向かう用事がありますが、私は「新幹線や電車に乗ったらアカン」といった手前、車で送らなくてはならなくなりました。

状況が変わってきたら中止にするしかありませんね。

この「中止」は今後のキーワード、何事も選択肢となるかも知れません。

 

 

さて、当流で「不可思議」といえば「南無不可思議光」の通り阿弥陀さんのことで特にその「智慧」をあらわす言葉です。

今の政(まつりごと)の無知とは真逆になります。

 

先日亡くなったノムさんの名言の中「マー君 神の子 不思議な子」という語がありましたが、これは田中投手が4回で5失点のヤレヤレ・・・を終わってみれば勝ち投手になっていたの件です。

要は人知を超えた「何か」(大抵は神仏に準え)を備えた・・・ということの感動表現ですが、かつて歴史でその「不思議」「不可思議」を評された武将がいました。

絶対的不利な戦いにも終わってみれば何故か勝ってしまうということです。

理屈もへったくりもない「後ろに神仏がついている」のではないかという不思議を言っているのですね。

 

画像は日野の「馬見岡綿向神社」境内で出会った親子の像ですがこの子供がのちに「不可思議」「不思議」と評価された楠正行です(場所はこちら)。

だからこそ足利義詮はそのお隣に一所したいと思ったのでしょうが、以後正行は父楠木正成の遺した意思の通りに生きた父子絆の鏡となった人です。

 

明治以降その父忠孝の精神と南朝方として戦ったという事実がクローズアップされて、各地で彼ら父子が特別評価、北朝方の足利家が逆賊となる極端な時代を演出してもいましたね。

ちなみ当家ご先祖と伝わる成瀬家の祖、足助次郎重範も笠置山に籠って南朝方として戦って六条河原で首をはねられていますが、やはり維新以後「忠義の人」とまつり上げられてなんと昭和初期になってから従三位を贈られるなど殆ど無茶苦茶な宣伝パーツと化していました。

 

国のために死することが「スバらしい」と死した後それもかなり後になってまつり上げられることの不幸に悲しみさえ感じます。

後に残された家族の事を考えるとより一層です。

 

勝負は時の運、いずれもたまたま。

正行も敗死することになります。