粛清の手が及ばなかった波さん 作佐山の谷の庭園

先日相良にぶらりと30年振りにやってきた友人は実は東京の大きな病院で勤務しています。

昨日は例のお騒がせ「新型コロナウィルスの疑い」の患者が出現して現場はあたふたしていたとのこと。

病院の一般窓口にフラっとやってきてその疑いを訴えたとしても現状、「ハイ診察・・・」という段取りにはならないようです。国立感染症研究所に連絡してからどちらかに・・・

 

また、その人の住まう近隣に「としまえん」があってその縮小、閉園のニュースがありましたが、どうやらそのあとは「ハリポタ」のテーマパークと公園に整備するとのこと。

東京の事でとやかく言うのは憚られますが、今頃「ハリポタかよ」と奥方と顔を見合わせてしまいました。映画は観たことはありませんが相当以前に流行ったもののような気がして・・・

お金の使い方いろいろですが、それが「ある所」はいいですね。

 

さて、昨日も記した波さんのボス、お美代ですが若き寺社奉行阿部正弘の差配でお美代の地位は剥奪されて寂しい晩年を送ることになります。

お美代の父は智泉院という寺の住職、日啓で将軍家斉にうまいこと話をつけてその寺の親寺を将軍家の御祈祷所にします。

お美代は「参詣」を口実に大奥女中を引き連れて遊山に頻繁にでかけるようになりますが寺の坊主どもと女中たちの風紀が乱れることになって、それが「破戒僧」の咎を暴くことから寺社奉行の活躍と発展するわけです。

 

その名からも日蓮宗系ということが分かりますが、波さんの実家、当家は真宗の専修念仏の寺。

ボスのお美代さんとは主従の関係はあっても宗教的な違いからその辺り、一線を引いていたことがうかがえます。

阿弥陀さんの「仏飯」を食むありがたさを日々教え込まれる寺にあって波さんにはその気概というものがあったのでしょう。

 

弘化二年に老中首座になった阿部正弘が例の着物を波さんに土産として手渡したことも十分に考えられることだと勝手にその件頷いています。

この事件も少なからず以後明治の廃仏毀釈の動きを助長させる事案となったことでしょうね。堕落した仏教のイメージを植え付けてしまいました。

 

画像は昨日奥方の運転手で行った浜松城公園。

私は人混みを嫌って一人その辺りをぶらぶら。奥方には水筒のお茶を「15分おきに飲め」と。

こちらは天守閣がある丘と北側の作左山の間の谷に造作された日本庭園です。

梅は咲き出しましたがまだまだ色合いに欠ける自然世界です。